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2009年10月02日(金)

ユリイカ! 

■前から読みたいと思っていた本をやっと手に取ることができたので、隙間の時間をぬってちょこちょこと読み進めています。
所有と国家のゆくえ (NHKブックス)所有と国家のゆくえ (NHKブックス)
(2006/08)
稲葉 振一郎立岩 真也

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そういえばずいぶん昔に、経済学者の方による書評を目にしたことがあります。
稲葉振一郎・立岩真也『所有と国家のゆくえ』 - Economics Lovers Live

 意味不明・曖昧模糊としてて通読できませんでした。明晰な説明が可能な事態をわざわざなが~い文章でわからなくしているようにしかとれない。

例えば次のような表現は慎重?丁寧?厳密?それ以外?の何かを意図して書いていると思うんだけど、端的に何いってるのか意味がとれない。

「成長を目指さない

 国民に人気があり十分独立採算でやっていける人々の税金による扶養など、不要なこと(というより、負担の強制について正当性を調達できない行い)は多々あろうが、大きい費目としては経済政策がある。少なくともこの国のような国で強制的に徴収される税を用いた成長政策は不要である。ただ、市場において景気変動が必然であり、そこで経済の安定性を確保する政策を行うことが認められるなら、経済の調整と成長政策とをどのように区分けするのかといった問題は出てくる」(同書57頁、立岩レジュメより)。

 あの~よくわかりませんが、税を徴収して誰かどこかに配分するというのはまさに「再分配」でして、これを否定すると「再分配だけする最小国家」というのがよくその理解が……。
 それとも「強制的」に力点が置かれていてボランティアに国家に資金を国民が拠出するのでしょうか? それって安倍晋三の「ボランティアの義務化」と同じじゃね? 爆

 あるいは「再分配」は税によるものではなく、例えば僕が車を所有しているとして、それがある日、国家(サービス生産をしない国家だそうで理念的にはなんでもありだが実際にはイメージしずらい)がその所有権をある種の基準から他の誰か、どこかのものにする、ということでいいのかしら?

 でもこれも「お金」の所有権の「分配」なら税と同じですが(ーー)。現物ということだけ? もしそうならなんでそんな「区分け」すんの?

経済成長を目指さないというところは経済学的におかしいとコメント欄でツッコミが入っていて、まあ多分その通りなんでしょうとド素人の私は思うわけです。しかし、この方の疑問はそういうことでなく、単純に「国語の読解」的な意味で立岩さんが何を言っているのか分からなかったということなんだろう、と思いました。特に前半部分が。

【More・・・】

この抜粋を読んだときにピンとくるものがあったのですが、原文が確認できなかったので当時はそのまま流しました。ですが今回、元の本を読んでみて、やっと自分の理解に確信をもてました。

問:次の文を分かりやすい日本語に訳しなさい

国民に人気があり十分独立採算でやっていける人々の税金による扶養など、不要なこと(というより、負担の強制について正当性を調達できない行い)は多々あろうが、大きい費目としては経済政策がある。


深海魚の解答案

たとえば皇族を税金で養うとかさー、いらんこと(てゆーか、義務として強制的に取り立てるのは筋が通らんようなこと)は山ほどあるだろうけどさー、まあデカい金使ってるところとしては経済政策ってのがあるよねー。

こういうことだよね、ね?!
本の中で立岩さんは「大きい政府か、小さい政府か」とか、「福祉の財源はどこから出すのか」といった問いに飛びつく前に、私的所有のルールをどうするのかとか、政府が担うべき仕事はどこからどこまでなのか(たとえば、公的にまかなわれるべき福祉サービスにしても、財やサービスの提供まで国家が行うのではなく対価だけを利用者に支給して、直接のサービスは民間が行ったほうがいいこともある、など)などの根本的な仕組みをきちんと検討しなければならない、ということを一貫して主張されています。そして、そのモデルとして提唱されているのが、国家は所得の再分配に専念するべきだという「分配する最小国家」であるわけです。
つまり、この部分は「国家は何をし、何からは手を引くべきなのか」を具体例を挙げて検証しているのだと考えられます。税を徴収し、投入して行う政府の仕事としてふさわしくないものの例として挙げられているのが、「皇族の扶養」と「経済成長政策」なのです。リソースがないとかさんざん言っといてそこに税金使うなよ、つーかこんなことのために税金取り立てんじゃね、というだけの話で、決して税による再分配全般を否定しているわけでも、税の徴収の強制性を否定しているわけでもありません。まあ、言い方は悪いですが、単にどさくさにまぎれて天皇制を皮肉ってみたんだと思います。
で、何でこんな回りくどい表現になっているかということですが。私はご本人には1度チラッとお会いしたことしかないので人となりをよく存じ上げているわけではありませんが、これまでに書かれた物から判断するかぎりは単にそういう人、というかそういう文章のクセ、なのではないでしょうか。

んなこたあとっくに分かってんだ!ということでしたらすみません。
…いや、こんな書き方してますけど私、全著作コンプリートを狙ってみるくらいには立岩先生の愛読者ですから。彼の書いたものによって目を開かれた部分はたくさんありますし、もっとも尊敬する研究者の一人です。ですので、お気を悪くしないでいただきたいなあ、と…

■選択的夫婦別姓についてつらつら。
何度も表明しているとおり私は中国籍の在日2世なので、当然、両親は夫婦別姓です。周り中で同姓が当たり前のなか、うちだけが別姓、という状況で成長してきましたので、選択的夫婦別姓導入後の、おそらく少数派であろう別姓家庭の子どもの心情をシミュレートするのに参考になるケースなのではないかな、と思います。
そういう場合に子どもは「周りと違う我が家」に複雑な心情を抱いたり、姓が違う方の親と距離を感じたりして「家族の絆」なるものにヒビが入るのではないか、という慎重論があると聞きます。正直、その発想はなかった、という感じです。両親が長年使い続けてきた名前をそのまま持ち続けられるならそれに越したことないじゃん、ウチってちょっとラッキー?としか思ったことなかったんで。え、それなんか悲しいの?と、ちょっとした異文化理解のような心境になっております。というか、子どもが仮に複雑な気持ちになりうるとしたら、それって9割がた「別姓なんて…アンタの親、子どもの気持ちを考えてないんじゃないの」と余計なおせっかいをしてくる周りの人間が悪いような気がするんですが。

どちらかというと、理不尽な思いをしてきたのは母のほうです。同姓が当たり前だと思っている周囲から「深海さん」と父の姓で呼ばれて、そのたびに不機嫌になるのをそばで見てきましたので。彼女はずっと仕事を生活の主軸にすえてきたひとで、もちろんそちらでは自分の姓を使っているので、とっさに違う姓で呼ばれても誰のことだか分からないし自分のものでない名で呼ばれるのは不愉快だ、と言っていました。そりゃ、そうだろうと思います。選択的別姓が導入されて、「別姓のひともいる」という認識が広まれば、こうした事態も少なくなるでしょうから、それに期待したいところです。
ひとつ不満に思わないでもないのは、私と妹がどちらも父方の姓を名乗っていることです。そうなるまでには、どうもひと悶着あったようなのですが、母親的には少し納得のいかないところもあるようなので、姉妹のどちらかが母の姓でもよかったかなあ、と。何度もいいますが、私は家族内で苗字が異なることについて何の感情もありませんので、それなら公平感があるほうがいいのです。私の今の苗字はすでに「私の名前」として染み付いてしまっているので今更変えたくはありませんが、その辺に選択肢を用意するという意味では子どもの出生ごとに姓を決定する民主党案を支持します。嫌なら使わなきゃいいんだし。あるいは、子どもが成人したときに選択しなおしたり、どちらの姓でもない新たな姓を名乗れるようにする、という提案も魅力的です。
中国や韓国の夫婦別姓が決して男女平等の観点からそうなっているわけではなく、むしろ「家」が父系で相続されていく家父長制の縛りがより強かったことに由来している、というのはもちろん知識としては知っています。しかし、その時代と曲がりなりにも平等を掲げる現代日本とでは、同じ「夫婦別姓」であってもそれが果たす役割は異なるはずです。外形的にはそっくりの制度も、それがおかれる文脈が異なればまったく違うはたらきをします。あるものの「本質」は、それの最初の由来にある、と考えるのはあまりにナイーヴというものです。少なくとも民主党案であれば子どもの姓がどちらか(おそらく、多くの場合は父系)に統一されないのですから、形式の上でも異なっています。

じゃあ、仮に私が結婚するとしたらどうするか。
法改正されたとして、私がそれにお世話になるには未だためらいの大きい日本国籍取得と、制度そのものが気に食わない法律婚をするというふたつのハードルを乗り越えなければならないので、当分そんなことは起こりそうにはないのですが。しかし、一生気が変わらないとは言いきれませんので、そのときに開けている選択肢は多い方がいいなあ、と思います。
私は「家」にこだわりたくないとずっと思ってきましたので何がなんでも今の苗字、というわけではありませんが、こだわらないつもりで誰かの「家」の姓を名乗るのでは、こだわらなかった意味がなくなってしまいます。だったら、単に苗字であるだけではなくすでに私自身を指す「呼び名」として定着した今の苗字を、使い続けたいものです。じゃあ夫になる人に改姓させればいいかというと、私は中国式の名前を名乗っていますので、私の姓を名乗るということは単に妻の姓を名乗るだけでなく、「日本人ではない」という刻印をその名に負うことも意味します。それは負担が大きいでしょうから、「そうしろ」とはなかなか言えないかな、と。相手が積極的にそうしたいというなら、別ですが。
小さい頃、私は夫婦の一方が外国籍であるときは同姓にならないということを知りませんでしたし、なんとなくいつかは結婚するのだろうと思っていました。ついでに、男性が改姓してもいいということも知りませんでした。そのとき苗字を変えなければならないことを想像すると、けっこう面倒だし違和感があるなあ、とヤな気分になっていたのを思い出します。選択的夫婦別姓は、私が日本国籍を取らない理由と結婚したくない理由を、少なくとも一つ、減らしてくれるといえるのではないかな、と思います。

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タグ : 書評 立岩真也 稲葉振一郎 所有と国家のゆくえ 選択的夫婦別姓 結婚 ジェンダー

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