2017年08月/ 07月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫09月
2009年11月12日(木)

欠落と追悼 

■「ねえ。ひょっとしたら…というか、多分、変かもしれないんだけど」

隣にいるひとが、いつになくまじめな顔をして、口を開いた。

「お盆で帰ったときに、実家のお墓に参ってきたんだ。それで…死んだらこのお墓に入れるんだなあ、と思うと、俺は東京にいてもどこにいても、すごく頑張れる気がするんだよ」
「…ふーん。そうなんだ」

学校で知り合ったこのひとは、広島に近いのどかな(と勝手に想像する。行ったことはない)町の出身である。被爆の街にアイデンティティをもつ彼は、「広島」という場所と〈ヒロシマ〉の歴史に、並々ならぬ思い入れを持っているらしい。ふるさとがあるとか、歴史があるっていうのは、こういうことなのだろうか。そのあたりの感覚が希薄なあたしは、どう反応していいものかわからないまま、適当な相槌を打った。

「自分がそうだから、どうしても気になっちゃうんだけど、君んちのお墓とかってどうなってんの?やっぱり、中国?」

 ……ありゃ。

【More・・・】

 いや、そういえばどうなってるんだっけ。一度、親戚の墓を訪れたことはあるけれど、それは明らかに夫婦単位のもので、「私の家」とは無縁のように思われた。というか、地域によっても、都市部か農村かによっても事情が違いそうだし、ということは父の実家と母の実家とで異なる慣習があってもおかしくはない。お前の話の単位は出身の町なのに、あたしは中国かそれとも日本かって、広すぎるぞそれ。そもそも、夫婦別姓の国である。日本で一般的にイメージされる「○○家之墓」というものが、向こうにも存在しているのかさえ、あたしには定かではない。少なくとも、東京の実家に仏壇やそれに類するものが一切存在していないのは確かだ。
 傍に誰がいようといまいと、あたしは気分しだいで、容赦なく自分の世界に入ってしまう。このときも、いきなり言葉を止めて眉間にしわを寄せ、腕組みをしはじめたあたしに、友人はひょっとして悪いことを聞いてしまったのだろうかと、ばつの悪そうな顔をしてみせた。

「いや…実は、わかんないんだ。あるのかどうかも。ていうか、考えたこともなかった」

自分が何だか、とても子どもっぽいことを言っているような気がして、少し恥ずかしく思いながら、あたしは答えた。

 あたしは、日本に住む「新華僑」の子どもだ。1980年代ごろ以降、文化大革命が終わって再開した大学から留学生として派遣されたり、ビジネスのために海を渡り、そのまま定住した中国系住民を指す言葉だという。移住先の国籍をとった人は、「華人」と呼ばれているらしい。*1典型的には中華街の人々としてイメージされる、親戚や同郷者同士集まって暮らしてきた「老華僑」に対し、都市出身者の多い新華僑たちはやはり日本の都市部で、バラバラに生活している。あいつら口ばっかりエラそうなのに金は出さんし、いきなり「ちょっとチャンスめぐってきたんでアメリカ行きます!」とか言って旅立っちゃうし、まったく浮ついてやがる、と古くからの住人には評判がよろしくないとも聞く。
 そんな背景があるものだから、2世や幼いころに移民した1.5世たちは、年長でもまだせいぜい20代だ。もともと組織の弱い新華僑の、それも次世代にあたるかれらは、チャイニーズ・コミュニティから断絶していることが多い。たまたま両親が何らかの団体に属していたり、教育熱心で中国語の補習校に通わせたりしていればそれなりに横のつながりもできるが、それも親について回る年代までのことだ。やれ進学だの外国人登録証作成だのと、制度によって否応なく「中国人」の自覚を迫られる思春期のころには、往々にして周囲に同じ問題に直面する「仲間」はいなくなっている。中国人団体も、そうした2世の存在を、そもそも想定していないところが大半だ。
 とまあ、他人事のように言ってはみたが、あたしも最年長の、それも中国系の人々とのつながりをもつ機会に比較的恵まれた2世のひとりなワケで、コミュニティ形成に失敗した現状はつまるところ自分の責任でもある。なんていうか、ごめんなさい。

 学校で習うわけでも、日常的に生活に必要なわけでもない、冠婚葬祭周りの習慣や作法というものが「当たり前」のように身につくには、たぶん複数の条件がいる。まずは両親や祖父母をはじめとした周囲の大人から、そうしたことを習う機会がなければいけない。そうして知識として学んだことを、同年代や年上の子どもたちの集団の中で実際に行い、周囲の反応で自分の行動が適切かどうかモニターしながら、人は役割を学習するのだ。あたしたちは日本におけるそれを「自分たちの慣習」として教えられることはない。親などから聞く中国でのそれも、実践の場となる横のつながりがなければ、しょせん遠い海の向こうの話、「異文化理解」以上のものにはなりえない。
 幼少期をすごし、成長してからもたびたび遊びにいっていた天津で、あたしは「子どもだから」という理由でそういった儀式への参加を免除されていた。というよりむしろ、禁止されていた。大きくなって、服装やことばがだんだん地元育ちの同世代から外れていくと、その理由は「お客様だから」に変わった。一方、日本における「人の死」に接する作法は、一種の「模倣遊び」として学習した。七五三や初詣の習慣を「ねえねえ、●●ちゃんがこんなことやってたから、あたしもやりたい!」という一言で取り入れてもらったのと同じように、あるいは「洋食はナイフとフォークで食べるらしい」とテレビで観て、まだ箸も使えないくせに必死でまねしようとしたときのように。面白そうだから。そうするのがスマートらしいから。今でも、根本的な感じかたは変わっていない。
 だからだろうか。死者に語りかけるとか、そのための場に感傷をおぼえるとか、そういった感覚があたしには薄い。墓は墓でしかなく、そこには誰もいない。そこを訪れ、悔やみの言葉を述べ、悲しんでみせるという共同行為は、どうしたって遊戯性を帯びることになる。現代っ子なら誰だって、大なり小なりそんなものだろうとずっと思っていた。けれど、あたしは間違っていたのかもしれない。追悼の場は、目には見えなくなった人の存在への、本気の信仰によって維持されていたのか。だとしたら、それが「見えない」人間は、場を共有できない招かれざる客にしか、なりえないのだろうか。

「でも、縛り付けられる場所がないってことは、どこにでも行けるってことじゃん。それは、強さだと思うな」

友は言った。
 けれど、「墓」でも「国」でもいいが、既存の境界で区切られた「場所」を持たないからといって、その人は真空に暮らしているわけではない。歴史の断絶は新しい物語によって置きかえられ、更地の上にも日々は積まれる。死への超自然的な感受性をもたなくとも、「母国」に帰属感を抱けなくても、あたしはあたしのやり方で死者を悼み、原風景を思い描く。たとえそれが、どこかしらウソ臭さをかかえていたとしても。むしろ、決まった帰るべき場所がないからこそ、いま・ここを唯一無二としてしがみつかざるを得ないこともある。欠けているのは、自分が誰で本来どこにいる者なのか、当たり前のように指し示してくれる「強い」物語だ。あたしはどこかにいる。けど、自分がどこにいるかを知るための地図がない。

 越境者は可能性を生む、と人は言う。あたしもそれを、国境線をまたいで生きる子どもたちに「アイデンティティの悩み」や「複雑な問題」を見出そうとする大人たちに対して、突っ張るための支えにしていた時期があった。あたしはお前らと違って、どこにでも根を張れるんだから。新しい何かを生み出してやるんだから。勝手にかわいそうがるんじゃねえよ、と。けれど、最近ときどき、本当にときどきだけど、気を抜くと背後に藤原正彦の亡霊*2が張りついているような気分になることがある。自国の人らしくなれない根無し草になど価値はない、と彼は書いた。根無し草。漢語ならば「孤蓬」か。フランス語では、「デラシネ」というらしい。
 ならば、民族的なるものに回帰すればいいのだろうか。文化や慣習を知らないのならば、知ればいい。「ちゃんとした中国人」になればいい、のか。だけど、国境を越えて生きるということ、あるいは国境などというものは確固とした実体などではなく常に揺らぎつづけていて、その上に自分が立っているのだという感覚は、あたしにとってとてもとても、大事なものでもあるのだ。*3それを捨て去るような一歩を、踏み出せないでいる。だいいち、回帰しようとしてみたところで、その先に待ちかまえているのは「あるべき中国人」と「そうなりきれない自分」との間の終わりのない、気のとおくなるようなもうひとつの葛藤だろう。だったら、やっぱり可能性とやらに、かけてみるしかないのだ。無邪気に称揚されると苛立つこともあるけれど、実際のところ、それは「ある」のだろう。けれどその可能性は、きっと、ぽっかりと空いた自分の足元を見やるときの痛みと、背中あわせだ。
 今のあたしを、数年前のあたしが見たら、哂うだろうか。お前も保守的になったもんだ、日和りやがって、と言って。哂う、だろうな。

 横浜の秋の夜は、虫の音も聞こえないままふけていく。タバコの煙を逃がすために少しだけ窓を開くと、かわりに、季節などおかまいなしで元気のいいバイクの騒音がもぐりこんできた。だまって窓の向こうをながめる友は、遠い目に故郷の景色を描いているのだろうか。一緒にのぞきこんでみるわけにもいかないあたしは、ふと、好きなうたの一節を口ずさんでいた。

「帰る場所はいつもの、薄暗い、あの部屋さ」
THE BACK HORN『番茶に梅干』 from 初めての呼吸で

■たぶん、学問のことばを援用すれば、もっと短く、ずっと正しく書ける。だけど、どうしてもこんな風に書いてみたかった。
書き終わった今となっては、恥ずかしくて死にそうです。

↓読んでるほうが恥ずかしいあなたはコチラ
FC2ブログランキング
人気ブログランキング

*1 この「新華僑」ということばには、定義が二つあるらしい。論文等で出てくるときは、いわゆる「出稼ぎ」などでやってきた人たちを主とする。一方自称で使われるときは本文中のような意味になる。かれらに言わせれば、「出稼ぎの人たちは、定住したいわけじゃないから『華僑』じゃないでしょ?」ということらしい。ここではとりあえず、当事者の自称に従った。
*2 国家の品格より。あと、死んでません。
*3 10年と少し前から、あたしは中国系とは名のっても、中国人とは極力名のらないことにしている。カッコつきで「中国人」とか、「チューゴクジン」とか書くことはあるが。
スポンサーサイト

テーマ : 思ったこと・感じたこと - ジャンル : 日記

タグ : 国籍 民族 アイデンティティ 自分語り

【編集】 |  16:44 |  ファイル倉庫  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

Comment

コメントを投稿する

URL
コメント
パス  編集・削除するのに必要
非公開  管理者だけにコメントを表示
 

トラックバック

この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック

 | HOME |