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2009年06月14日(日)

天井以前に入り口がガラスだったって話 

胸の内に止めておくべきかとも思ったけど、やっぱり個人が特定できない程度に書くことにする。もしご本人が読んだら分かるかもしれないので、そのときは公開でもあたしに直接でも、好きな手段で反論してくださって構わない。
私と、ある男のコのあいだの個人的な、だけど普遍性をもったやりとりのお話。

このところ、友人たちの就職活動の話を、よく耳にする。やはり、今年は相当に厳しいようだ。
そうしているうちに、少し気になることに気づいた。女のコたちの中に、「エリア営業職」だの「アソシエイト」だの、実質女性のみを採る一般職相当の職種に就くコがやたらと多い。そりゃ、望んでそういう選択をする人もいるし、運悪く就活が希望通りにいかない人も毎年いるだろう。だけど、ひとりふたりではなく、多数になってくると、話は違ってくる。それも、総合職に受からなかったから仕方なく、そちらを選ぶコがほとんどみたいだ。同じく一般職を選んだあたしの先輩の会社は、結局その部門を廃止して全員総合職に統合するらしいよ、という話をしたら、そのうちの一人が「じゃあ、私もそれ狙う!」とやけにはしゃいでいた。もちろん、そんなのが極々レアケースでしかないことは、そのコも、あたしも、その場にいた誰もが知っている。
企業が採用人数を絞るときは、まず女子からあおりを食う。同じ能力なら男子を採る。そんなことがあると知識としては知っていたけど、いざそれを目の前に突きつけられると、やっぱりショックだ。現代の女子学生が最初に性差別の存在を体感するのは就職活動のときだ、とは誰のことばだっけ。

あるいは、他の女のコが得意げに語る。自分は育休のとりやすさ等考えて、会社を選んだのだと。将来の結婚や出産があっても仕事をバリバリやっていけるように、今からワークライフバランスの計画はばっちりだという。もちろん、彼女の選択は賢い。今の現実の中で「女」を生きる彼女が不利にならない手段を先回りして講じておくのは、すごく賢明なことだ。共に暮らしたいと思う人(それはこれから出会うのかもしれないし、これから生まれるのかもしれない)と充実した生活を築くにはどうしたらいいか、若くして真剣に考えている。このコはできる人だなあ、と素直に思う。選ぶ余地があるくらい内定が出たのも納得がいく。
けど、それでもパートナーと結婚するときや子どもを持とうとするとき、ライフスタイルの変化に合わせて働き方を調節するのは、彼ではなく彼女のほうなのか。こんなに仕事へのやる気で燃えている人でも、そうなのか、と思うと少しだけ切ない。

【More・・・】

そんな釈然としない気持ちを、男友達に話した。早い話、八つ当たりだ。

「えー、でもそんなにものすごく優秀なコたちってわけでもないでしょ?
 たしかに、たとえ同じ職種で入っても30代になると男女で明らかに平均収入が違うよ?けど、ものすごい努力してもそれを巻き返せないような時代じゃ、今はないと思う。だから、不平を言うより自分の力で切り抜けていくべきなんじゃないかなあ」

彼女らの中には、あたしが「この人マジ頭いいわ」と尊敬するコもいるのだけど。あたしに比べたらそりゃ、たいていの人は「マジ頭いい」に決まっているんだから、いっそ全人類を尊敬しときゃいい気もするけど、それはまあいい。そもそも職業におけるすべてが「能力」によって決められるべきかと言われると異論もあるんだけど、それもひとまず措いておく。能力に拠るべきだとは限らないとして、ジェンダーに拠るべきでないことだけは確かなんだから。
「ものすごく優秀」で「ものすごい努力し」ない限り割を食う、なんてののどこにフェアさがあるって言うんだろう。総合職で入社していく男のコたちはみんな、彼女らと違う扱いを受けて当たり前なほど、「優秀さ」や「努力」に格段の差異があったのか。そんなことないだろう。仮に何かしらそうした「傾向」があったとしても、もともと「女」というだけで評価が下がるような社会の中で、「努力」することが割に合わなくなったり、「優秀さ」を見せつければむしろ「かわいくない女」として嫌われたり、といったことを無視するのは不公平だ。女性は離職する可能性が高い?子育てをもっぱら女性がおこなうことが前提とされている中で、離職することを前提に雇用がおこなわれる中で、それを「離職する女」の責任にするのか。それじゃ、どこまでいっても悪循環じゃないか。そもそも「悪」循環だと思っていないのか。

「個人で努力するったって、たとえばヘテロで結婚して子どもがいたとして、核家族で男性の方は今までの働き方を変えないし保育園も空いてないし、みたいな状態だったらどうやっても彼女が被ることになっちゃうじゃん。実質的に採れる選択肢が、最初から限られてる」
「君はなんていうか…すごく自己中心的な考え方をするね。自分がどうしたいかばっかり主張して、他の人、たとえば子どもにとって何がいいかって視点がない」
「…へ?」
「俺ははっきりいって、ホシュテキでサベツテキな考えを持ってるからね。できれば専業主婦になってくれるコがいいし、子どもには保育園じゃなくて幼稚園に行かせたいし、自分の子が大きくなってもまた同じような選択をして欲しい。
 けど、もし好きになったコがそういうのイヤだって言うなら、それも仕方ないかなあ、って思う程度のもんだよ」

唖然とした。
もしかして自分の方が柔軟だとでも言うつもりか。あたしが言っているのは確かに、自分が仮に配偶者と子を持つとしたら(ホントは持ちたくない)どうしたいかの話だけど、お前が言っているのはパートナーにどうさせたいかだ。思い入れの強さが違うのは当たり前だろう。そりゃさ、疲れて帰ってきたらごはんできてて家の中全部片付いててさ、パートナーと子どもが笑顔で迎えて「お帰りなさーい」とか言ってくれたらさ、幸せでしょーよ。で、気分よく仕事の話とかして「すごーい」って言われたりさ。そんなん、いいに決まってんじゃん。お前に欠けているのは、女性もそれと同じ欲望を持ちうるという想像力だよ。あたしの語彙では、そういうのを「自己中心的」という。
というか、出産・育児と職業の両立という話をしていて、女が「自分がどうするか」を話すのに対して男は「相手にどうさせるか」を思い浮かべてしまう時点で、どうしようもなく非対称なのだ。それがフツーだということ自体が、社会が不平等であることの証だ。だって、「もし子どもが生まれても、自分は仕事を続けていけるんだろうか」って、真剣に考えたことが、あるか。
ああそれから、あたしが「何が子どものためか」を話題にしなかったのは、幼児期に保育園に行こうが幼稚園に行こうが、父が主体で育てようが母だろうが、ふたりで交代っこだろうが、子どもにとってはほぼプラマイゼロだと思っているからだ。「母親がついてやらないで保育園に行かせるのは、子どものためにならない」としか取れないその発言は、子どもの味方のつもりで言ったんだろう。けれど実際は、子どもを預ける母と、預けられて育った子と、保育士と、そして時には「奥さんを働かせて、子どもにさびしい思いさせるなんて」と甲斐性なし扱いされる父と、そのすべてに対して失礼でしかない。あんまり表で堂々と口にしないことをオススメする。ちなみに保育園通いの利点は、身の回りのことが早くできるようになるのと、いろんな家庭事情を持った子がいるけどみんな同じ友達だ、というのを学べることです(by元園児)

「やっぱりさ、自分や自分にとても親しい人が理不尽な目に遭ったっていうんじゃなければ、差別だとかそういう話に興味もてないよ」
「けれどこれは、たとえば近い将来、あたしに降りかかってくる問題でもあるんだよ」
「そのときになってから、上手いこと切り抜ける方法を考えればいいじゃん。で、どうしても納得いかないなら政治運動でもやれば」
「上手く切り抜けられたとしても、大本に不平等な構造があって、あたしもその中で不利な立場を与えられている、っていうのは一緒だよ?あたしの問題でもあるけど、個人の対応とは別に政治化する必要もあるんだよ」
「それは当事者を装っているようにしか見えない。まるで、マイノリティであることを自慢してるみたいだ」

ええまあ、そういう心性がまったくないとは言わないけどね。けれどあたしが自分にひきつけて語ろうとするのは、ある問題に自分がどのようにかかわってしまっているのか、自覚的でありたいと思っているからだ。確かに、一歩間違えれば被害者の僭称になりうる。それを防ぐために必要なのは「関係ない」と突き放すことではなくて、自分がどこに立って(立たされて)いるのか正確に見極めることだろう。
男社会の中で不利な競争をする総合職の女として。未だに「腰かけ」と見なされる一般職の女として。「家計補助」のために非正規で働く女として。無償や低い賃金で再生産労働する女として。いまだ少女であったり、教育の中にいる女として。性産業に従事する女として。外国人の女として。障害者の女として。セクシュアル・マイノリティの女として。そして、望むと望まざるとにかかわらず特権を与えられ、「オトコ」の役割を果たさなければそれを失うぞと脅迫される男として。
多様な属性の間に複雑に張り巡らされた権力関係によって、あたしたちはそれぞれに異なる形で性差別を経験する。誰だって、そこから勝手に自由になることはできない。けれど一方で、あたしたちはそれに自由に応答することができるし、せざるをえない。だからあたしは問うているのだ、「お前はどう応える?」と。
お前は、具体的な解決法の話しかしたくないのかもしれない。「正しいことを言うだけならタダじゃん」と言う。けれどそれは、ひとりだけでは解決できない問題や、まず何が問題でどういう方向を目指せばいいのかの共有からはじめなければいけない問題を、すべて放棄する態度だ。確かに「言うだけ」じゃ何も十分じゃない。けれどその不十分な、「タダ」のことさえできない人間が、「言うだけ」でも「タダ」でもないようなコストを払って何かを成し遂げられるわけがないんだ。ないんだよ。
第一、自分に降りかからなきゃ関係ない、と言い放つお前に、「あたしも、お前も当事者だ」という以外にどんな語りかけが可能だというのだろう。

「大体さ、ホントに興味がないんなら、差別解消に興味がある人のいうとおりにしておけばいいじゃん。興味がないくせに、水は差したがるってのはおかしくね?」
「あー…、それはそうかもね。でもさっきまで本当に、性差別の実感がなかったんだよ。それが君にこうやって噛み付かれて『いや、関係ないんだ!』って言いたくなる気持ちに変化してきちゃってるんだ」

それ、単にムカつくけど反論できないから開き直ってるだけじゃん、とツッコみながら、あたしは心の中で振り上げた拳を、そっと下ろす。

「あたしは、踏み絵を迫っているね」
「それで、俺はさっきからずっと、逃げ続けてるわけなんだけど」
「うん、それも知ってる」

この人はほんとうは、あたしの言ったことくらい、分かっている。同じようなことを言うほかの多くの人たちだって、本当に理解する能力がないわけじゃない。それでも、自分が当たり前のように拠って立っているマジョリティ性を批判されると、拒絶したくなるのだろう。

[…]マイノリティがマイノリティであることを表明し、マジョリティに「受容」を求めているうちは許容される。しかし、双方が乗っている規範そのものを問いはじめた途端、「良心的な」マジョリティは、自分の利害を照らし合わせ、その行為に「過激だ」とレッテルを貼る。様々な課題に、そのような図式があるような気がする。
堀江有里 「レズビアン」という生き方―キリスト教の異性愛主義を問う
ぐったりする6月 - デルタGより孫引き)

ここで問われているのは異性愛主義だけど、おそらく起こっているのは同じことだ。それは、権利を求めて声を上げる人々を「政治的」だといって白眼視する、この国の「良識的な人々」の「政治的無関心」を支えてもいる。声高に正義を主張するのがなんとなく「イタ」くて恥ずかしいと思ってしまうあたしの中にも、同じものが内面化されている。
「それ」の姿を見極めたくて、あたしは目の前の人の目を、じっと見つめる。互いに苦笑いしながら。

いっそう釈然としない気分で家に帰って、大好きなコミックを手に取った。
愛すべき娘たち (Jets comics)愛すべき娘たち (Jets comics)
(2003/12/19)
よしなが ふみ

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如月と牧村、そして佐伯の3人の生き方を描いた回を読んで、思わず転げまわりそうになってしまう。あたしは何時まで、こうやってトガっていられるんだろうか。
あたしの愛すべき友人たちは、不況のとばっちりを食って、決して男女平等とはいえない就職事情に理不尽な思いをして、それでも自分の道を選んでいる。彼女らと、まだ動いてもないくせに勝手に落ち込んでマンガに慰められているあたしと、どちらがダメかと言われれば、もちろん、後者だ。

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タグ : 就職 ジェンダー 男女共同参画

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Comment

●昔ブログを読んでました。
久しぶりに来たらいきなり読み応えのある記事が。

そのような社会を少しでも変えるために男である俺
はいい年をして労働と遠いところで非生産的にダラダラしています!俺も自分の将来を犠牲に怠けるのでがんばってください。

ところで就業における性差別というのは男性も主婦化を、の理念よりも共働き・保育所の経済的合理性で
ゴリ押しでタックルしたほうが効果的に思えるのです。

男女間の身分格差をいま有る階級・職業の格差に転化する、というか。書いていて↓を連想しました。


http://sillyfish.blog2.fc2.com/blog-entry-617.html
VIPPERな名無しさん |  2009.07.03(金) 00:02 | URL |  【編集】
●お久しぶりです
…といっても、どなただか分りませんが(笑)
最近更新が滞ってますが、その分一つあたりの読みごたえは増してる・・・はず…だといいな・・・なので、またちょくちょくのぞいていただければ嬉しいです。

>ところで就業における性差別というのは男性も主婦化を、の理念よりも共働き・保育所の経済的合理性で
>ゴリ押しでタックルしたほうが効果的に思えるのです。

かつての男性稼ぎ主モデルはもはや合理的でない、とかをメインに持ってきた方がお利口に見えるんだろうなとは思うんですが、どうも私の関心が一番向くのは経済効率を焦点にした立論からこぼれてしまう部分なんですよね。
…あと、基本的に賃労働も家事も嫌いだっていう(笑)

私も偉そうなことを言う割には、「安定した職について家族を養え!」という圧力がかからないのをいいことに不安定コースを驀進してます。
もう、みんなで非生産的にダラダラしようよ。
深海魚 |  2009.07.10(金) 15:25 | URL |  【編集】
かつてはサラリーマン、専業主婦モデルが
有効だったってよく聞きますけど当時も国とか文化の後押し
あってのモデル世帯じゃないですか。当時から実は
共働きの潜在能力ってあったんじゃないですか、って思ってます。
返事ドウモ |  2009.07.12(日) 21:44 | URL |  【編集】
そうですね、そもそもサラリーマン+専業主婦+子ども、のいわゆる「近代家族」が庶民においてまで一般的になったのって、高度成長期のことですからね。明治期からの家族制度の整備に加えて、戦後の平等的観点からの一夫一婦制の強化、さらにそのような生活が「先進的でおしゃれ」とされた当時の文化的背景に下支えされていた面は、かなり強くあるだろうと思います。しかもその後もなんだかんだ言って、女性は周縁的な労働力として市場を支えていたんですよね。
要は、郊外化と「総中流化」が発展する中で出てきた一時的なモデルだったのだろうな、と。それが「あくまでモデル」としてさえ機能しづらくなってきているのに、制度の改革が追いついていないのでしょう。
深海魚 |  2009.07.16(木) 16:52 | URL |  【編集】

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