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2009年04月09日(木)

孕みうる身体の「こわさ」を語る 

私も、産みたくありません。
父と娘と。
で、うまく言語化できなかったところを。あるいは、他所様のブログで緊急避妊や、ピルや人工妊娠中絶の記事を読んでいてつらつら考えたことを。またあるいは、当時中学生だった妹が突然真剣な顔で「ねえ、もし妊娠しちゃったら、姉ちゃんはどうする?」と問いかけてきて、「え…どうしよう。産むのも堕ろすのも、怖くて仕方ないと思う」と答えたら、「ふーん、姉ちゃんは迷うんだ。あたしは、絶対堕ろす」と言われた、何年も昔のあの日のことを思い出しながら。もちろん、彼女が聞いてきたのは「今」妊娠したらどうする、という話ではありません。
「生み孕む身体への嫌悪感」と表現してきたことの中身を、できるかぎりことばにしてみようと思います。とはいっても、ことばにしたとたんに、何かがそこからこぼれて逃げていってしまうのだけれど。

直接的には「父と娘と。」に寄せていただいた玉響サマのコメントの終わりの部分に対する応答、というかたちをとらせていただいています。というか、コメント欄に書こうとしたらものすごい長文になってしまったので、エントリを立てることにしました。
話題が話題なので、少々生々しいかもです。特に、もし現に妊娠している方や、中絶経験のある方、妊娠を望むにもかかわらず不妊に悩んでいる女性の方がご覧になったら、とても不快になられるかもしれません。その暴力性を考慮してもなお語らずにいられなかったということ、ご了承願います。ご批判は、どうぞ遠慮なく。

…っていうか、オフラインの知人友人も読んでるブログでこんなことを書いていいんだろうか、私は。

【More・・・】

孕む嫌悪感については、男なのでなんとも分かりませんね。どういった感じなのか気になります。

その辺はものすごく言語化しずらくて…だからこんなにお返事が遅れてしまったのですが(笑)、やってみますね。ただ、私はかなり極端な例でしょうから、あまり一般化しないでいただければと思います。女の、というより、女としての私の、話だと思ってください。

「妊娠」というと、自分の身体が内側から何者かによって、それもかなりの長期にわたって侵食され、変形させられていく、みたいなイメージを抱いてしまっています。しかもお腹が目立つようになるにつれて、周囲の人も「私」を見ているはずなのに、私を通して体内の得体の知れない生き物を透視する(つまり、お腹の子どもの方にまず関心がいく)ようになって、誰も私本人だけを見てはくれなくなる、「私」が見えなくなってしまうんじゃないだろうか、と。
出産後であっても、あるいはそもそも妊娠していなくても、「私」ではなく「母」や「未来の母」としてまなざされてしまうのは暴力的です。よく、「子どもができたら、それまでの自分ががらっと変わって…」と幸せな物語が語られることがありますが、私もそうなると思われるのは嫌だし、もし本当に変わってしまうならもっともっと恐ろしいです。そのように見られうる身体をもっていると思うと、ときどき当たり前のはずの自分のからだが、まるで何か異物のように思えてしまうことがあります。私にとって、それは「私」ではなく「女」として見られること、よりずっと違和感のあることなんです。よくよく考えると、何か重要なできごとを経験したあとに価値観が大きく変わるのはありがちなことで、別に悪いことでもなんでもないような気もするんですが、どうしてだか自分に「その」変えられ方が訪れることだけは肯定的に想像できません。たぶん、私が「私の内部」の「誰か」に変えられる、というあたりがファクターなんだと思います。
あと、痛いのイヤです。分娩も会陰切開もちょう痛そう。私のからだを通過していいなんて誰が許したよ、って思っちゃいそうです。

とはいえ、「自分のからだが、まるで何か異物のように思えてしまう」感覚が最大化するのは、やはり現に妊娠の可能性を感じてしまったときです。避妊すればいいというワケではなく、少しでも「甘かったかな」と思えるような要素がきっかけとなって「100%ありえないとはいえない」ということを思い出すだけで、恐怖としては十分です。もちろん避妊はしますが。実際、私は頭では「ほぼありえないはず」とわかっていても、怖くていてもたってもいられなくなって緊急避妊ピルを呑んだことがあります。どう考えたって、妊娠の可能性より薬の副作用のリスクの方が大きそうなシチュエーションだったにもかかわらず。
それでも避妊が確実だと思えればその分恐怖が薄まるのはたしかなので、たとえばピルを服用することも考えたりするんですが、喫煙者にピルはちょっぴりリスキーです。この機会に禁煙ってのも悪かないんですが、タバコを我慢している私の目の前で男のコが屈託なくぷかーってやってるのを見た日には、やり場のない怒りで脳血管が破裂しかねません。しかも、避妊のために「私が」クスリを呑むこと自体が、副作用の怖さ云々を抜きにしても自分の身体にそういう必要があることを認めたくない人間としては気の進まないことだったりします。あと、めんどくさい。
だから私にとって「月経」は両義的です。今現在侵食されて、出産か中絶かというどちらも痛みを伴う恐ろしい選択をしなければならない(あくまでイメージなので、初期流産の可能性は省きます)、という可能性から解放してくれる一方で、私がまだ恐怖がふたたび襲ってくることのある身体をしているんだよ、と告げるものでもあるからです。遅れたといっては青くなり、来たといってはがっかりします。まあ、単にめんどくさいのもあります。

もうそんなにイヤなら、何かの手段で生殖能力をなくしちゃえばいいんじゃない?と言われてしまいそうですが、自分の身体が(たぶん)孕みうるものであり、おそらくは外科的な手法をもって取り除かないかぎりそうであり続ける、ということ自体が、私にとってはとても認めがたいものなのです。みずからの意志で不可逆的な選択をすることのしんどさもあります。だから、特に何もしてないのに知らない間になくなっちゃいました、とか、そもそも孕めると思ってたのが私の勘違いで、最初から無理でした、とかだったらいいのになあ、とは思います。
同様に、人工妊娠中絶は出産並みに恐ろしいと思ってしまいます。私の身体のもっとも認めがたい部分に「手を加える」ことによって物理的に存在を認識させられ、しかもその帰結は、私が一因となって発生したこれから生命となるものの「死」なのですから。もし私が近い将来、産むか堕ろすかという選択を迫られることがあれば、おそらく「高いところから飛び降りる」とか「子宮ごと引きずり出す」とか、そういう行動ばかり頭に浮かんでしまうでしょう。「もし●●くんとの間に万一があったときは、全部あたしの言うとおりにしようとは思わないほうがいいよ」と、パートナーのひとりに告げたこともあります。もちろん、合法的な中絶が可能であるべきことと、その最終的な決定権が妊娠した女性本人にあるべきことには、まったく異論はありません。むしろ、孕むこと産むこと堕ろすことのすべてにおける暴力性を女性が身体において引き受けざるをえないからこそ、彼女が中絶を決意することを否定できない、と考えています。
上記と同じような理由で、そのときどきのセックスパートナーに、月経周期をはじめとした身体の状態を把握されるのも、イヤだったりします。「ない」と思っていたいものを他者に指摘されると、「ある」ことに向き合わざるをえなくなるためです。妊娠させたら困るという自分の都合もあるとはいえ、私のことを慮って言ってくれてるんだろうなあ、とわかっていても、やっぱりちょっとげんなりですね。同様に、同性の友人や家族に不用意に踏み込まれるのも苦手です。「下ネタ」は大好物なのに(笑)。異性の友人は、そもそも「そういう話をしよう」と決めたとき以外は踏み込んできません。

まあ、こんなところでしょうか。そして何より納得がいかないのは、こうした「こわさ」や「きもちわるさ」を、私は、というか女はひとりで引き受けなければいけない、ということです。その大元となる行為は、ひとりじゃできやしないのに。
で、ここまで「嫌だ」ということばっかり書きましたが、こんな私でさえ「たしかに怖いけど、でも、もしかしたらいつかは…」という思いが皆無ではないんですよ。そして、冒頭で「一般化しないで」って書いといてなんですが、「怖い」と「怖いけど、でも…」の相克は、結構な数の女性に共有されているものだと思います。もちろん前者と後者の強さの違いは人それぞれでしょうし、「こわさ」を常日頃から感じているか、いざ妊娠に直面してはじめて実感を得るか、という違いはあるでしょうが。この辺の濃淡には、教育とか所属するコミュニティ・階層の文化による差異がある程度かかわっているかもしれません。そして、私よりも前者が弱くて後者が強い人が、おそらくは多数派なんでしょうね。
が、こうした「こわさ」は社会的に否認されやすいように思います。「怖い」と訴えても、「まだ女性として未熟で、思春期を抜けきってない」とか、「自分のセックス(生物的性別)を受容できない病気」とかに回収されてしまって。そういうことじゃないんだよ、と地団太踏みたくなります。女の身体=子作り子産みじゃねえよ!と。私に関していえば、思春期にはむしろ周囲より発育が遅いのがコンプレックスで、早く「女のカラダ」になりたくて、その兆候を探し出しては誇らしく思っていたくらいです。なってみたら、うっとうしかったんですが(笑)

男で言うと糞邪魔くさい男性生殖器に対する嫌悪感と似ているのかもしれないです。

うーん、女性器に対する嫌悪感は、別にないんですよね、私は。しっくりこないのは、その奥で。さらにいえば、男のコとのセックスも別に嫌いじゃなかったり。
嫌悪する以前に、女性器に対して、男性が男性器に対して抱くほどには、リアルなボディー・イメージをもてていないんじゃないかと思います。これは私に固有の問題というよりは、女性一般が抱えがちな傾向かもしれません。まずは見えない場所にあるということと、異性愛主義の社会において、女性は女性器のイメージを男性とのセックスを通して以外では獲得しづらいということと。能動的にみずからの性器に触れ、おぼえること…えー、ぶっちゃけ、女性のオナニーは当たり前とされていませんからね。
ただ、絶対にボディ・イメージを獲得しなきゃ!とは思いません。めんどくさいし。

↓「めんどくさいし」が最大の理由な気がしてしまったあなたはコチラ。かもかも、ぴーたん。
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決定権、というと少し語弊があるかもしれません。あくまで、彼女以外の人が決めてしまうのは不当で、彼女が選ぶことを誰も否定できない、ということです。女性と胎児の権利の対立としてとらえた上で女性の自己決定権を肯定する、というのとは違います。また、彼女が選択せざるを得なくなった原因は彼女ひとりではないのですから、選択の責任を彼女だけに負わせるのは間違っています。むしろ身体において責任を引き受けなくてすむ側が、目の前の彼女にどう向き合うのかが「責任」として問われるべきです。
なお、私は選択的中絶は肯定できないと考えています。「孕んでしまう身体」から中絶を認める、という論旨からいってもそうでしょう。ただ、孕む身体をもったひとの権利を守るためには、理由を明かさずに中絶する自由は保障されなければならないと考えます。
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テーマ : セックス - ジャンル : 心と身体

タグ : リプロダクティブヘルス/ライツ ジェンダー セクシュアリティ

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Comment

●女は自分の子孫を残す為、男を利用して、子を産んでいるのだ!
深海魚さんの投稿に刺激を受けた訳でもありませんが、以前から暖めていた<メモ>から、
2009年04月11日付けで、拙ブログで<女は自分の子孫を残す為、男を利用して、子を産んでいるのだ!>を記しました。

<孕みうる身体の「こわさ」>は、男には分からない感覚ですが、「男」は、精子の提供者で、あくまでも、子を産む(孕む)ことは、女の意志が第一だと思っています。

子孫(分身)を残す気があるのか?は、これまでの「生命の流れ」の中で、自分が存在している、と云うことを意識し、<宿命(?)>として捉えるか?に係わる気がします。
mohariza |  2009.04.11(土) 09:07 | URL |  【編集】
●いやいやいや
産む産まないはともかく、孕む孕まないを自分の意思で決められたら、苦労しませんって(笑)
少なくとも、オスの側に子孫を残すことへの関心がない、というのは嘘なんではないでしょうか?まったく同じロジックで、「男は自分の子孫を残すために、女の子宮を利用している」とも言えてしまうわけですけれども。
深海魚 |  2009.05.07(木) 14:19 | URL |  【編集】

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