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2009年03月07日(土)

父と娘と。 

誕生日を迎えて、そろそろ一月になる。自分ではまだまだ子どものつもりなのだけど、同年代の知り合いにはちらほらと、既婚者や親になる人間が出てきた。
人の親というものは、そういう光景を見ると焦りを覚えるらしい。

結婚とか子どもを作るとかはまだ早いかもしれないけど、そろそろアンタも恋人のひとりも作りなさいよ。誰か、責任感のあるいい人、いないの?」

そんなことばを、両親からかけられることが増えてきた。その度あたしは「えー、男のコってめんどくさいんだもーん。やりたいこともあるし、今は恋愛とかしてらんないー」と、受け流している。

「まったく、若いモンが二言目にはめんどくさい、めんどくさいって…」
「あはは、やる気のない現代っ子ですから★」

怠惰で無気力な娘で、かまわない。
本当はそのときどきによって、あたしにも特定の相手がいたり、いなかったり、特定じゃない相手ならいたり、それもやっぱりいなかったりは、している。けれどあたしは、そのことを決して両親には言わない。仮に言うとすれば、別れて後のことだ。そもそも言わない方がよさそうなことばかりだ、ってのはまあ置いといて。

【More・・・】

先日、そんな中で父と会った。少しだけ言いにくそうに、彼は口を開く。

「やっぱり人間も動物なんだから、つがいをつくって子どもを生むのが自然で、幸せなんじゃないかな」
「それ言ったらさ、社会的動物の群れの中につがいをつくらないメスがいるのも自然だし、いわゆる『未開』の人間集団でも、自分では結婚せず、子を生まずに一族の中で知識の伝承や医術をつかさどる女性がいる文化は珍しくないよね?」

そう返したら、会話が終わってしまった。別に、自然主義的誤謬がどうこうなんてたいそうな話をするところではない。単に、「自然」の威を借りた屁理屈は別の屁理屈で簡単に反駁されうるし、かといってそうしたところで、双方ともむなしくなるだけだという、それだけの話だ。屁理屈に屁理屈で反論することが許されるのは、あたしたち父娘の間の希望でもある。
早い話、あたしは結婚願望が皆無といっていいほど希薄なのだ。ましてや子どもを生むとなると(結婚は出産の必要条件でも十分条件でもないのだが)、育児のコストとか子どもがきらいとか以前に、孕み産むことへの生理的な嫌悪感が立ちふさがってそれ以上考えられなくなってしまう。「(たぶん)孕みうる身体」に、違和感を抱えているのだ。十代のころからずっと多少の月経不順があるのだけれど、それがもし「孕みにくい身体」を示しているのなら、このまま一生治らなければいい、と心から思う。
だからあたしは、早くそう言えばいいのだ。父は父で、結婚して子をなすことにしか「女の幸せ」をイメージすることができないと、素直に言えばいいのだ。

自分の身体に違和感があると言ったって、別にあたしは、男に生まれたかったわけじゃない。女じゃなくなりたいわけでもない。シスジェンダーで、ついでに言えばヘテロセクシュアルで、たいていの場合その立ち位置に安住している。non・noなんか読まないけど、生まれ変わっても、女の子がいい。
世の中の女は、そして男も、「女」もしくは「男」と名づけられたその身体において可能なことをすべて、一生の間におこなうわけじゃない。彼女や彼がやろうと思えばできることのうちのいくらかは必ず、嫌われ、さけて通られ、あるいは「できる」ということに気づかれもしないままに通り過ぎられていく。あたしもまた、そうするというだけの話だ。通り過ぎようとしているその内容が、一般に女性に期待される役割と強く結びついているという以外は、何も変わらない。ただ、それだけなのだ。
なのに、たったそれだけのことが、あたしは言えない。

それにあたしだって、誰か心を許せる人と、長く二人で暮らしてゆくことを妄想しないわけじゃない。そこに子どもがいて、自分が強い女として強い母として生きている様子を、思い描いたことがないわけじゃない。いつだって二つの本音があって、引っ張りあっているのだ。あたしはひょっとして、「嫁ぎたくない」「産みたくない」「恋愛とかめんどくさい」と語ることに集中するあまり、「もう一つの本音」から無理に自分を遠ざけようとしてはいないだろうか、と、ときどき思う。
人の望みは変わりうる。今は生理的嫌悪感が先に立ってとても無理だけど、いつかあたしの中のそれもまた、引っくり返る日が来るのかもしれない。先のことは、誰にもわからない。あたしが決して、最初から揺るぎないあたしだったわけじゃないように。あなたが「天上天下唯我独尊」と唱えながら生まれてきたわけじゃないように。

あたしはこの社会において恋することや嫁ぐこと、産むことがおかれた位置を動かしたい。あんなのはたまらなく居心地が悪いし、正しくもない、と思う。いろんな人がいろんなことを言って、行って、抗ってきたそのあとに、あたしも続きたいのだ。
けれどその一方で、恋する人、結婚する人、産む人を肯定したい、かのじょらの側に立ちたい、とも思う。ロマンチック・ラブ・イデオロギーを批判しながら。ポリガミックな関係性を志向し、産まないことを選び取りながらも。そして、変わりうる自分の欲望を、肯定していけたらいい。

それが、出来るだろうか?

09.03.08追記
ちょっと誤解を招きそうな表現があったので補足しておく。
「恋する人、結婚する人、産む人を肯定したい、かのじょらの側に立ちたい」と書いたけど、「かのじょらの側」とは、今ある制度の中で生き延びるためのひとつの選択として(異性愛で)恋することや嫁ぐこと、産むことを選んだ人たちの側、だ。それに対置されるのは女を女性役割の中に押し込め、そこに入りきらない人を排除しつつ、女を差別するまなざしであって、決して「恋しない人、結婚しない人、産まない人」じゃあない。対立線はそこに引くべきじゃない、と思う。
言うまでもないことかもしれないけど、念のため。

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タグ : 家族 結婚 恋愛 生殖 ジェンダー

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Comment

自然について生物学的に言うなら、人間の場合は子を作らない個体が居る方が正常かもしれないです。
社会を形成する生物の場合、一定の割合で子を成さずに別の事に専念する個体が出てきたりします。
そうした個体が存在する方が、種としては生き残りやすくなる。利己的遺伝子という奴が生み出した使い捨て個体ですね。
研究者に未婚者が多いのはそのせいじゃないか?と生物学者達が言い訳をひねり出しております。
子作り個体より社会的に見れば優秀なんだ という説も。
玉響 |  2009.03.07(土) 21:24 | URL |  【編集】
●「自然」って便利に使われすぎると思う
>社会を形成する生物の場合、一定の割合で子を成さずに別の事に専念する個体が出てきたりします。
そうした個体が存在する方が、種としては生き残りやすくなる。利己的遺伝子という奴が生み出した使い捨て個体ですね。

「おばあさん仮説」を思い出しますね。これを書いていたときも念頭には置いてましたが。

そもそも「自然」ってなんじゃい、っていうか「自然」だったらなんだってんだい、っていうのが文系学生の言い分だったりします。想定されたある環境下(「自然」と呼ばれうるような)にほっとくと人は○○をする、あるいはしがちである、ということがあってそれを「自然」と呼ぶとしても、だからってそのままほっとくのが正しいとは限りませんよね。って、科学を学んだ人に対してこれを言うのは釈迦に説法もいいところですが(笑)
個人的には「物理法則からは誰も逃げられないんだから、人間にできることはすべて自然!」とか言いたくなってしまいます。何をすべきか、っていうのはその前提の上で語られるべきだろうと。
深海魚 |  2009.03.08(日) 18:59 | URL |  【編集】
自然は人間の手が加わっていない状態の事ですから、人間は特別という前提で初めて成り立つ。
でも日本人は人間も自然の一部という考え方だし、現代科学も人間を特別扱いはしない。
じゃあ「○○するのが自然」と言っている人は一体何を考えているのかというと「○○するのが俺的に正しい」を日本人らしく婉曲な表現にするとこうなるんじゃないかと。

やはり「女は子供を生むと幸せ」という考えは、ある程度社会に浸透している方が良いのかもしれないと少し思いますね。そうした外圧がないと、生む気にならない人は多いのかもしれない。
出産の持つ危険性もあるし、育児まで入れれば非常に長い期間自由を失う、人生が大きく転換してしまうわけですから「絶対に良いことである」という保障がなければ、二の足を踏んで当然なように思います。
実際には子育ても結婚生活も楽しいのかもしれませんが、何しろ未経験の事では想像しかできない。
「女は子供を生んで幸せになる」という「常識」が担っていた社会的な役割を代替する何かが必要なのかも。

女性に限らず、結婚・出産に対する具体的なメリットというのがもっと必要になるのかな。
文明レベルが上がって頭が良くなり、避妊意識が高まってるんだから、計画出産をもっと増やす手立てが必要。

と色々考えていても、自分自身は全くその気にならないもんですねぇ
玉響 |  2009.03.10(火) 10:26 | URL |  【編集】
>じゃあ「○○するのが自然」と言っている人は一体何を考えているのかというと「○○するのが俺的に正しい」を日本人らしく婉曲な表現にするとこうなるんじゃないかと。
まあ、そういうことなんでしょうねえ。ただ、日本人に限ったことじゃないかと。というのも、「人工」に対置される「自然」って、おっしゃるように元々日本にはなかったものですから、使われかたも含めて外から入ってきた側面が強いのではないかと思います。無論、ローカライズはされてるでしょうけど。
まあ、西洋で「自然」というと神の被造物ですから、あちらでは婉曲表現ではなくてもっと強い主張なのかもしれませんね。

>やはり「女は子供を生むと幸せ」という考えは、ある程度社会に浸透している方が良いのかもしれない
うーん。「女の問題」になっちゃうんでしょうか?産み孕むことは、産み孕む身体を抱えたひとをいかに支えていくかという、孕まない性の側の問題としても捉えなおせます。ましてや育児と自由を天秤にかけて…とかになると、「いや、かーちゃんはもう十月十日も一緒にいてやったんだから、そろそろとーちゃん代わってやれよ」とか、私などは思ってしまうのですが。
人生が大きく転換してしまうリスクを、「みんなの問題」にすることで分散できないかな、と思います。実際楽しいことばかりじゃないでしょうし、「絶対幸せだよ!」→「幸せじゃなきゃいけない、つらいとか言ったら母親失格」ってなって、誰にも相談できず最悪の結果に…ってなるよりは。

でもそれだと、このエントリーで書いたような「孕みうる身体がきもちわるい、こわい」という感覚には届かないんですよね…合理的な計算以前のところにある嫌悪感には。そもそも嫌って何がわるい、とも思いますけど。
どうも、「産ませる圧力の息苦しさ」とか、「それでも産む喜びはある」とかは語られてきたけど、「こわさ」を語ることばってあんまりないような気がします。「産みたくない人もいる」とは言ってもらえるけど、その中身に立ち入ろうとすると途端に「思春期特有のとまどい」か「性同一性障害」くらいしか概念がなくなってしまうような…あとは、一昔前なら「拒食症」とか?
誰もがとまでは言いませんけど、結構な数の女性がこの感覚をもってるんじゃないかと思うんですけどね。

>文明レベルが上がって頭が良くなり、避妊意識が高まってるんだから、計画出産をもっと増やす手立てが必要。
「先進国」の中で比較的出生率が保たれてる国家を見る限りは、むしろそれまで白眼視されていたような出産・育児のあり方を積極的に支援していく必要があるように思います。たとえば、婚外出産とか。

>自分自身は全くその気にならないもんですねぇ
まったくです(笑)
深海魚 |  2009.03.17(火) 16:56 | URL |  【編集】
>「女の問題」になっちゃうんでしょうか
いや、単に出産にまつわる話だったので「産む幸せ」を出しただけで、旧来の社会か個人の意思を重視した新しい社会システムかという話です。

出生率の低下は、システム移行における不具合なんじゃないかと思うわけです。

女性は、出産し育児をしながら家事をするという道だけでなく、仕事をするとか、あるいは出産しないという道が少しは選べるようになってきている。
選択肢が無い状態なら、大抵のことは迷い無く行えるものです。
男性はどうかというと、一応「男は仕事」という価値観が残ってはいるものの、昔に比べれば大分緩んできているように思います。
その結果が「働くことを選択しない」つまりニートの存在じゃないでしょうか。
ぶっちゃけ仕事するのだって、選択肢が他に無い状態だからこそ出来るんであって、他が選べるなら他を選びますよ。
自分のやりたい仕事なら進んでやりますが、現実には99%のやりたくない仕事をこなして初めて1%くらいのやりたい仕事が出来るような感じですからね。

それぞれが性別による役割から開放されたとしても、仕事も家事も育児も、どれも必ず行われないといけないものですから、「女:家事育児、男:仕事」か「男:家事育児、女:仕事」を両極端にして、そのどこか中間点に夫婦の活動が置かれないといけない。ど真ん中は共働きで家事育児の分担という状態ですね。

単純な考え方をすれば「働かない」を選択したニート達は、専業主夫になるのが本来望ましい形なんじゃないかな。

個人的にはそもそも夫婦を単位に活動が行われるという現状も、もう必要無いんじゃないかと思います。
まぁ育児も学校だの幼稚園だのと社会で共有するシステムはあるし、家事も機械で大体出来るようになってますが。
夫婦でセットになるのが良いなんてのも、決まりごとでそう教えられてるからこそ成り立つだけで、実際のところあまり論理的な理由は無いように思います。


孕む嫌悪感については、男なのでなんとも分かりませんね。どういった感じなのか気になります。
男で言うと糞邪魔くさい男性生殖器に対する嫌悪感と似ているのかもしれないです。
玉響 |  2009.03.19(木) 03:18 | URL |  【編集】
●又聞きでアレですが
>出生率の低下は、システム移行における不具合なんじゃないかと思うわけです。
社会構造が変化していく上での一回性のものだ、という風には言われてますね。実際、「このままでは●●年後に日本人がいなくなる!」みたいなセンセーショナルな言説を耳にすると、バカじゃねーの、それこそ「生物」としてありえねーだろーが、と冷めた目で見てしまいます。
おそらく、問題は少子高齢社会そのものより、移行の「速さ」の方なのでしょう。変化した人口構造に対応したシステムが社会の側に整わないうちにどんどん進行していっては困るから、軟着陸させなければ、という。そして、「変化した人口構造に対応したシステム」の青写真が(姥捨てとかスパルタ的な形でしか)描けていないことの問題なのかな、と。
その意味では、「先進国」以上のスピードで高齢化の進行している一部途上国において、こうした問題は最も重く立ちはだかっているように思います。

>女性は、出産し育児をしながら家事をするという道だけでなく、仕事をするとか、あるいは出産しないという道が少しは選べるようになってきている。
私はそんなに楽観できていません。昔と比べてマシになってはいるのかもしれませんが、そもそも女性が家庭に入るのが当たり前になった「昔」ってせいぜい、WWⅠから高度成長期くらいですよね。
彼女らに開かれた実質的な選択肢が「家庭か、仕事か」ではなく「家庭か、仕事と家庭か」になってしまっているところがあるんじゃないでしょうか。
形式的な選択の自由が担保されたところで、男性の側が仕事を減らすという選択をまだまだしにくく、かといって家事・育児・介護の社会化が十分でなければ、結果的に女性がその分を請け負わざるを得なくなってしまいます。そして結局、女性が労働市場から退出するか、周縁的な立場にとどまらざるをえなくなる、と。
女性の選択の自由と男性の選択の自由は、近代家族を前提とした社会においては独立のものではなく、連動しています。しかもその2者は対等なものではなく、非対称な権力関係の下に置かれています。「養ってやってる」という物言いが成立するところからも、それは明らかでしょう。

ですから、男性の側の「働かない」という選択肢を、形式的なもののみにとどまらず、実質的に選びやすくするための仕組みも含めて広げていくことは重要です。「働かない」男性が男性失格のように扱われてしまうのはどうにかしなくちゃですね。また、そもそもそんな連動と権力関係なんか、なくしちゃえばいいじゃない、という話にもなります。
ま、早い話、
>個人的にはそもそも夫婦を単位に活動が行われるという現状も、もう必要無いんじゃないかと思います。
ってことですね。

>孕む嫌悪感については、男なのでなんとも分かりませんね。どういった感じなのか気になります。
男で言うと糞邪魔くさい男性生殖器に対する嫌悪感と似ているのかもしれないです。

この辺は、書いていたらめちゃくちゃ長くなってしまったので、エントリの方で返答します。
深海魚 |  2009.04.09(木) 15:47 | URL |  【編集】

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