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2008年12月30日(火)

早口あっちゃん 

『大丈夫であるように---Cocco 終らない旅---』
10日ほど前に観てきました。だってCocco密着映画ですよ?ファンを名乗るものが、観ないですますことなどあってなるものだろうか。いや、ない(反語)
この日から上映館がシネマライズからライズXに移ることになっていて、ライズXの内装が大好きな深海魚さんは数日前からほくほくしていました。好きな映画館で好きな人を撮った映画を観られる上に、監督もかなり好きなので、もう、幸せいっぱいです。愛してる!

ところが。

お昼すぎにチケットカウンターに行った時点で、レイトショー以外はすべて売り切れと張り紙が出ていました。

私:「…じゃあ、レイトショーのください」
係員:「はい、お席はどちらになさいますか」 ←シネマライズの座席表を取り出す
私:「あれ?ライズXではなくて?」
係員:「はい、夜の回のみ、シネマライズで予告編なしの上映となります」

というわけで、出鼻をくじかれた気持ちになったのでした。

【More・・・】

そんなわけで、丸半日をつぶすために遊びまわり、夕ご飯を食べてついでに飲んだくれてから劇場に戻りました。ゆっくりしすぎて、3分遅れくらいで。酒が入ってたせいで、ところどころ記憶があやふやなのはご愛嬌です。ゆっくりしすぎた結果がこれだよ!

歌手として活動しながら基地問題や「ひめゆりのおばぁたち」についての発言も続けてきたCoccoのところに、ある日ひとりのファンから手紙が届きます。手紙の送り主は、青森県に住む少女。文中につづられていた六ヶ所村核燃料再処理工場が、補助金と引き換えに「厄介者」視されている施設を地域に受け入れるという、沖縄が在日米軍基地に依存させられてきたのと同じ「アメとムチ」によって作られようとしていることを知り、彼女はショックを受けます。どこかで沖縄だけが被害者だと思っていた、けれど、同じことが六ヶ所村でも行われようとしているのだと。彼女は自分のツアーで青森を訪れ、そして、歌を歌います…
六ヶ所村の再処理工場問題が、あるいはジュゴンの見える辺野古の基地移設予定地の問題が、劇中で何らかの解決を見るわけではありません。彼女はただ、工場予定地を、辺野古のフェンスを、ひめゆりの慰霊碑を、訪れ、祈り、そして思いをライブでファンたちに語りかけ、歌を歌います。その繰り返しです。それが事態の動かしがたさと、それでも抗おうとする個人に何ができるのかを、観客に訴えかけているように思いました。

…って、書いたんだけど。実は、ストーリーをそんなに見てなかったんですよね。Coccoばかり観てました、はい。
個人的見どころは二つ。

一つは、Coccoがカメラを回す是枝裕和にむかってものすごい早口で、もののけ姫 [DVD]について語るところ。

「なんか森とか山とか、めちゃめちゃになっちゃうんだけど、最後に花が咲くのね。希望があります、みたいに。若い頃はそれ見て、めちゃめちゃ腹立ったのさ。甘い!って。けど、子どもができて、子どもと一緒に『もののけ姫』観てたら、最後で花が咲いてくれて、本当よかったーって、思ったのさ」

ご存知の方も多いと思いますが、Coccoはテレビやステージ上ではものすごく独特な、たどたどしくてどこか憑かれたような話し方をします。時には、泣きながら。それは本作でも、ライブのシーンで見ることができるのですが。
昔、彼女がテレビ出演するたびに、「深海魚ちゃんって、Cocco好きなんだよね。昨日テレビで観たんだけど、なんていうか、しゃべり方がちょっと、その…あの人ってちょっと普通じゃないっていうか…」とか言われて、お前らに何がわかるってんだよ!と思春期真っ盛りの深海魚はいちいち反発していたわけでして。
ええ。
私に何がわかるってんだよ。
…いや、私のイタい過去はどうでもいいんだ。そんな彼女が、ひとたびステージを降りればすらすらと早口で、自分の思いを話すらしい、というのを昔私にCoccoを教えてくれた人から聞いていたんですね。なので、今回それを目の当たりにできて、ちょっと嬉しかったのです。本当はこのシーンはCoccoの成長を描いていたのだろうし、実際、彼女の歌とスタンスの変化の背景にあるものを示唆するエピソードだと思います。けれど、活動停止前からのファンで当時の楽曲を今でも聴き続けている人間としては、そんなシーンの中にも「変わらないあっちゃん(Coccoの自称)」をつい、探してしまうのです。ファン心理って、難儀だなあ。

もう一つ。Coccoがライブ中に、ファンからの質問を紹介する場面があります。

「『ジュゴンの見える丘』の『悲しみはいらない やさしい歌だけでいい』っていうのは、もう悲しい歌はいらないっていう意味ですか?って、聞かれたのさ。けど、それはこぉ(自分のこと)のことじゃなくて、ひめゆりのおばぁたちのことで。おばぁたちにはもう、悲しみはいらないし、やさしさだけでいいって。それで、おばぁたちがどうしたら笑ってくれるのかなって思って」

ジュゴンの見える丘ジュゴンの見える丘
(2007/11/21)
Cocco

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アーティスト本人にそれを訊くのかよ、と思うのですが、この「ファン」の人の気持ちも、私にはわかる気がするのです。「悲しい歌」に惹かれてハマった歌い手やバンドがだんだん曲の雰囲気を変えていくと、置いてきぼりにされたような寂しさを覚えるのは。THE BACK HORNしかり、Plastic Treeしかり。時間が経てば、受け入れられないと思っていた新しい歌を、いつの間にか口ずさむ自分に気づいたりもするのですが。
その辺の葛藤と折り合いをつけるために書いた記事(というか、学校のレポートの流用。学業をそんなことに利用すんなという苦情は受け付けません)を貼っておきます。

今夜の焼きザカナ 金網の向こうの「オキナワ」 ~歌姫Coccoの軌跡~

それ以降に彼女がつくった歌の中では、「あなた」という語がもちいられる回数がいちじるしく減少している。たとえ使われていたとしても、「あなた」は遠い日の愛すべき記憶として背景に退き、『首。』や『カウントダウン』といった初期の作品のように愛憎半ばする傷つけあいが現在形であらわれることは、もはやない。二人称の「あなた」は「その人」「彼」という三人称に相対化され、より大きな物語の中に位置づけられることになったのだ。そうすることによって、基地の存在が所与であった「オキナワ」の内部の矛盾というミクロの視点から、その「オキナワ」を構築した米軍の責任、さらにはそれを招いた日本と沖縄の歴史的関係性へと視座を移すことが可能になった。事実、その半年後には、Coccoはひめゆり隊をえがいたドキュメンタリー映画『ひめゆり』に関わるなど、今までとはちがう立ち位置から歴史や政治を語りはじめている。ここにきて、彼女は沖縄の「おばぁたち」(Cocco [2006b])の記憶を受け継ぐことを志向したのである。

Coccoは渋谷陽一による最新のインタビューの中で、やっと沖縄で歌ってもいいんだと思えたと語っている。(Cocco [2007])昨年の八月十五日まで、彼女は一貫して沖縄でコンサートを開くことを避けていたのだ。日本国の中の基地のある沖縄県を前提とした「沖縄県人」(Cocco ・堀[2001])から「沖縄人」(Cocco・渋谷 [2007])へとアイデンティティを組みかえ、戦争と占領の記憶を共有してはじめて、彼女は沖縄が自分をうけいれうることを実感したのである。

※毎日新聞で連載されていたコラム『想い事。』で、2006.5.1に掲載された「楽園」のこと。映画にこの「あなた」がまったく登場してこないのは、象徴的だと思います。

終盤の、浜辺でのCoccoの語りから画面が暗転し、いくつかの字幕が表示されるシーンはかなり、胸が締め付けられるものです。『もののけ姫』ではない現実は、やっと咲いた花さえ一瞬で摘み取ってしまうこともあるのだ、と思い知らされました。が、ネタバレのしすぎになってしまうのでここでは書きません。代わりに歌っときます。
♪静かにせーきーを立って、はさみをにーぎーりしめて、おさげを、切り落とーしたー
 それはとーてーも、晴れた日で…

Raining/Cocco)
「沖縄では歌えない」と言っていたCoccoが、沖縄で、うちなーぐちで、歌っている。それだけで、なんだか胸がいっぱいになる映画でした。

オススメ度:★★★☆☆ ただしCoccoファンなら★5つ

オマケ
ところで辺野古の基地移設予定地のフェンスに「平和のリボン」や短冊を巻きつけているシーンで、「辺野古の基地建設手続きについて日米の環境保護団体が米国防総省を提訴し、勝訴する画期的な結果を得た」みたいなテロップが流れるんですが。
それってもしかして、グリーンピース

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テーマ : 考えさせられた映画 - ジャンル : 映画

タグ : 映画評 音楽 是枝裕和 Cocco 大丈夫であるように

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