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2008年09月19日(金)

必要なのは「誰か」なのだ 

友人(♂)と、出産/育児と仕事、という話をする。
年を重ねるごとにこうしたテーマが観念ではなく現実的な話題になりつつある(といっても、まだ友達の友達がパパになった、とかそんな感じだが)のだけれど、今のところ周りの何歳までに結婚したいとか、どんな家庭を作りたいとか、そんなことを目を輝かせて語るノリからは完全においていかれてる。

「これはあたしの先生がいってたことなんだけど。女性は子どもを生むと働けなくなるっていうけどさ、本当に働けないのなんて、ものすごく長く見積もっても妊娠中と出産直後のたかだか1年でしょ?その『たかだか1年』を重く見て女性を雇わなかったり昇進させなかったりするのって、変な話だよね」
「え、だって母親の体調が戻っても、小さい子の面倒見なきゃいけないじゃん。急に熱出したりするから目を離せないし。少なくとも子どもが幼児のうちは働けないでしょ?」
「うん、確かに小さい子は誰かが見てなきゃいけないね」
「じゃあ、働けないのはしょうがないじゃん」
「『誰かが』見てなきゃいけないんであって、誰でもいいんだよ?」
「…あ。」

物理的に母体と胎児がつながっている妊娠中と違い、出生後の子どもから母親が離れることは可能だ。誰かが面倒を見なければその子は死んでしまうけれど、その「誰か」が母親である必然性はない。
現実問題として、パートナーや周囲のほかの人々が育児のために仕事を休むことがなく、保育園に預けようにも待機児童になってしまい、職場に託児所もなく、といって目の離せない年頃の子どもを見捨てることもできなければ、母親は仕事をやめたり、休んだりせざるをえない。しかし、いくら事実として働けないことが多くても、原理的に幼児を抱えた母親が外で働くことは可能である、ということは変わらない。事実、あたしは母の仕事(ていうか、一家全員の生活)のために人の手に預けられてちゃんと育った。
人間って、こんな当たり前のことも忘れるんだなあ。

もちろん、物理的に可能か不可能かという話と、子どもから引き離されてまで賃労働にいそしむのが本当に母子にとって幸せかどうかは別である。そして、「働く母」についての議論の外で、当たり前のように子どもから引き離されている「働く父」が幸せかどうかも、当然別の話だ。
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