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2008年05月12日(月)

矛盾と共に生きろということ 

承前。
「矛盾」について書いたが、ちょうどいいタイミングでおもしろい授業があった。ウーマン・リブの闘士でもあった学者が講師としてやってきて、リブは自分の中の二つの本音(by 田中美津)に引き裂かれ、矛盾した己をおたがいに話して肯定するところからはじまった、と話す。それに対し、進行サポート役の男性倫理学者が質問をした。

「自分の中に矛盾があることを受け入れることができるほど強くないとだめなんでしょうか。受け入れられない弱い人でもかかわっていける倫理はないんでしょうか」
「強くなんかないです。弱いから矛盾するし、それを吐き出しちゃうんです。弱いからこそ、それをみんなで受け止めて支えあおうってことになるわけで。でも…そうね。自分の弱さと向きあう強さは必要かもしれません」

相手に自分の専門である「倫理」のことを訊くあたり(相手は生物学者)、質問というより自問にちかい気がするけど。それでも、質問者の問題意識にすごく共感するものがあった。
矛盾を吐き出して心が軽くなることは確かにあるが、しゃべっているうちに自分でも思いもしなかったことを言ってしまって新たな矛盾に気づくこともある。あるいは目の前で「あたしはこんなに矛盾している」という告白を聞いて「あ、あたしも同じだ…」となるかもしれない。そんな自分を「でも、これがあたし」とすんなり受け止められればいいけど、認めがたいことを認める過程で深い傷をおう人もいる。これはもう、避けがたく絶対にいる。

【More・・・】

講師の方は自分の矛盾や弱さに「気づく」「向きあう」「出会う」という表現をされていたが、コミュニケーションの中でそれがおこなわれれば必然的に「気づかせる」「向きあわせる」「出会わせる」側面をもつことになる。たとえ直截に「あなたは矛盾しています」と指摘することを避けたって、それは同じだ。あたえた外傷をいくら共感によって受け止めようとしても、共感はしょせん究極的には幻想だ。どうやったってどこかで相手を、自己欺瞞のよろいを引き剥がされた痛みのなかに独り、置きざりにしてしまう。
この、根源的につきまとう暴力性を、どう取りあつかっていけばいいのだろう。

そうはいったって、気づかないことにはその先に何も続いていかない。たとえ暴力でも、「気づき」の押しつけから逃れられなくても、やるしかないじゃないかと思うかもしれない。あたしだって普段は、「気づけ」「向きあえ」「逃げてもいいが、逃げてることを自覚して逃げろ」といいたくなる部類の人間だ。その分自分がいわれる覚悟も、しているとは思う。
一般論としては、それは正しい。少なくとも、まちがってはいない。けれど、「見なかったこと」にされているもののヴェールをはぐのが本当にどんなときでも正しいのだろうか。たとえばこのあたしが、具体的な「あの人」にその暴力を行使するのは正当だろうか。正直いって、自信はない。
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