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2008年05月08日(木)

矛盾だらけのあたしたち 

高校を出てから、映画をよく観るようになった。よく、といっても所詮にわかファンなので、まったくもって通を名乗れるほどじゃないけれど。それでも、ドキュメンタリー映画のおもしろさが少しはわかったかな、なんて思っている。
ドキュメンタリーは現実をそのままうつしとったわけではない。何を映し、どこにつなげ、それをもって何を語るかは監督にゆだねられている。何より、登場人物たちがカメラを意識して、「そのままの日常」とはちがった振る舞いをするようになる。これは人に見せる文章(たとえばこのブログ)を書いているときにもいえることだけど、自分が始終一貫した人間であるかのように見せかけようとするのだ。しかし、自分に向けられっぱなしのカメラの前では、そう簡単には成功しない。そうやってもがくさままでがカメラにおさめられ、スクリーンの向こうの残酷な観客は、それに拍手を送るのだ。

というわけで、後輩と「どうして人は一貫性を演じたがるのだろう」とおしゃべりする。心理学の実験でも証明されているほど、人間一般に見られる傾向らしい。
わが身を振り返れば、あたしだっていろんな矛盾を抱えている。女でありたいのに、"女扱い"されるのはきらいだとか。暴力や力で威嚇することが大きらいなのに、攻撃性や征服欲は強いとか。孕みたくないけど、孕める身体でいたいとか。対等なヘテロセクシュアルの関係をのぞむくせに、縛られて囚われたいなんて欲望をもちつづけていたり。もちろん、精神面の話じゃなくて物理的に、である。
そしてそれを何とかつじつま合わせようと、いっしょうけんめいに合理化するあたしがいる。けれどやればやるほど、自分をだまして自分の中の「筋のとおらない」部分をおさえこもうとしているだけだ、ということに気づいてしまう。

以前「深海魚さんは自分の女性性を受け入れていないように見える」といわれたことがある。そのときは「100%女らしくしてなきゃ、受け入れてないってのかよムキーッ」と怒ったのだけど、もう認めてしまおう。あたしはあたしの中の「女のコ」を、とてももてあましている。
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2008/11/15(土) 18:03:34 | 今夜の焼きザカナ
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