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2007年12月02日(日)

ピアス小娘の弁明 

ここんところ需要に追われて、死の決定だの尊厳だの安楽だの自己決定権だのについて読みまくっていたのが、やっと一息ついた。お疲れさま、自分。よくがんばった、自分!
「死」という文字ばかり目にしているとなんだか自分まで死に近づく気がしていたので、やっと生き返った気分だ。いやもちろん、区切りがついたからといって思考停止していいわけじゃないけど。
その一環として、
自己決定権は幻想である (新書y)自己決定権は幻想である (新書y)
(2004/07)
小松 美彦

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を読んだ。異論がある部分もあるのだけど、全体的な感想はいつか、本館のほうできちんと書こうと思う。

で、それはそれとして。

【More・・・】

本の中に、どうしても気に食わない一節があった。今本が手元にないので正確な引用ができないのだが、著者は若者に流行しているピアスを例にあげて、今の若い人は身体は自分のものだから自分の好きにしていい、という感覚が蔓延していると書く。「彼らは自己決定権を疑ったこともないのだろう」というわけだ。
けれど、あたしはそうは思わない。ピアスが流行し、若者が軽い感覚で身体に手を加えてそれを身につけるのならば、そもそもピアスが「自己決定権」を主張してつけるものではなくなりつつある、ということなのじゃないか。つまり、「人工妊娠中絶や『尊厳死』を自己決定で片づけるのはなんか違うだろう」と考えながら、自分のピアスが「疑われうる自己決定」であるとなどつゆぞ思わない若者が増えるのだ。ピアスはわざわざ問題にするような「特別のこと」ではない、というわけだ。実際あたしも右耳に3つ、左耳に2つ穴があいているけれど、ピアスをしている人間は自己決定権を疑ったことがないとか、自己決定権を問い直すような人間はピアスをするべきではないとか、そんな発想をする人間がいるとは思ったこともなかった。いやあ、世の中いろんな人がいるもんである。つーか、茶髪に5つピアスをはめた小娘が生命倫理の本を読み漁ってなにやら考えたりするのはそんなにオカシイか、コラ。
著者はそんな若者たちが「自己決定権」を疑っていない根拠として、教師に服装を注意されて「そんなの自分の勝手だ」と返す生徒の話をあげている。けれど、これはちょっと話が違うのだ。この場合、教師は生徒に服装を直すように強制できるが、逆はそうはいかない。そこには明らかに非対称な権力関係がある。それなのに「自分勝手はいけません」と、まるで自他が同じように「みんなのルール」に従っているようなフリをするから、生徒はそのような教師に腹を立てるのである。学校が子どもを未知に出会わせて社会化「させる」場である以上、対等な関係が成り立たないのは仕方がないが(だからと言って今の形が最善というわけではない)、対等でないからこそ自分が注意する側にまわれる、という明白な事実を隠そうとするから嫌がられるのだ。「自分の勝手だ」は、教師がそのような立場から生徒の生活に踏み込もうとしていることを突きつけることばである。

この本とは別に、今の若い人のピアスと、リストカットなどの自傷行為を同列にして「現実感が希薄な時代に、身体を傷つけて生きている実感を取り戻そうとする行為」などと語られることもある。あたしはこれにも違和感がある。
自傷行為は、傷つけることそのものが目的だ。リストカットの傷跡が美しい紋様を描いているかどうかを気にする人はあまりいないし、オーバードーズ(薬物の過量摂取)にいたっては跡が残らないこと自体が魅力になっている。薬を飲んで気分が悪くなった後の「美しい吐き方」とか「美しい苦しみ方」を追及している人なんて聞いたこともない(いたらゴメン)。
それに対して、ピアスは傷つけたあとの変形したからだが重要だ。あけた穴をどのように飾り、どのように服とあわせ、どのように人に見せるか。こうしたこだわりを持たれるのが、ピアスがファッションと呼ばれる所以である。あける瞬間の痛みや身体感覚は、あけた後のことに比べれば重要ではない。その証拠に、麻酔下で痛みなくボディピアスをあけられることをウリにしている美容外科も存在するくらいだ。医療者以外でも麻酔薬を取り扱える国であれば、ピアススタジオ等でさえ麻酔が普及している。
もちろん、ピアスをあけるときはピアスガン(ピアッサーのこと)ではなくニードルを使うべきだと「ピアス通」な人たちが主張したり、自傷か変形かどちらを目的にしているのかよくわからない身体加工がおこなわれたり、ピアスにも傷つける最中が注目されることはある。ピアスやタトゥーを好む人が自傷者でもあることもあるから、まったく重なるところがないわけではないだろう。しかし、基本的には自傷は身体加工の最中に、ピアスはそれが終わった後に力点がおかれていることは間違いない。それを同じモノとしてばかりとらえていては、それぞれに働いている力を見逃すのではないだろうか。どうしても「現代の病理」とやらとピアスを結びつけたいならば、身体加工を通して自己を感じる自傷行為よりも、身体を対象化し、好きな形に変形させられることを確認することで自己コントロール感を得る、という点で摂食障害との関連でも論じたほうが見えてくるものは多い気がする。

少なくともあたしはピアスをあけたとき、「こんな悪いコなあたしなんて、穴だらけにして罰してやるんだ!」とか、「ほら見て、苦しいからこんなにピアスあけちゃうんだよ。あたしを見てよ」とか、「ああ、痛い・・・あたし、生きてる!!」とか、そんなことはこれっぽっちも思わなかったけどな。ていうか、耳たぶなら痛くないし。
何が言いたいかというと、深海魚さんはもっとピアスを増やしたいのです。
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