2017年09月/ 08月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫10月
2008年10月05日(日)

金網の向こうの「オキナワ」 ~歌姫Coccoの軌跡~ 

※この文章は昨年、授業の課題レポートとして書いたものを少し手直ししたものです。普段と文体が違うのは、あまり気にしないで下さい。ていうか、文章作法とかめちゃくちゃだw 今読み返すと「あちゃー、こんなこと言い切っていいのかよ」という箇所も多々あるのですが、一年前の自分がどこまで考えていた(いなかった)かを覚えておくために、パソコンのおくから引っ張り出してみました。
作品としては、ザンサイアン以前のCocco名義・SINGER SONGER名義のCDと、活動停止中に描かれた二冊の絵本の内容を踏まえています。ジュゴンの見える丘きらきら以降は考慮に入っておりませんので、その点ご了承下さい。
ちなみに課題のテーマは「文学と記憶」だったという。なぜCoccoだったんだ、自分。


沖縄出身の歌手、Coccoの書く歌には、デビュー当時からある特徴的なモチーフが使われ続けてきた。過去に彼女と愛し合っていた、しかし今では死んでしまったらしい「あなた」とよばれる人物が、繰り返し登場するのだ。歌の中にあらわれて、時にはCoccoと甘い愛を語り合い、また時には彼女を見捨て、殴ることさえある「あなた」は、「抱きよせて からまって/引き裂いて 壊したい。」(Cocco [1997])と、愛と憎しみの双方の対象としてえがかれている。
ファーストアルバムにあたる『ブーゲンビリア』の歌詞カードの終わりには、「私を捨てた人へ、私が捨てた人へ、私を残して死んだ人へ、私を愛した人へ、私が愛した人へ、私の愛した美しい島へ、心からのキスを込めて。」(ibid.)と記されている。「あなた」は彼女が生まれ育った沖縄の島と重ねあわされているのである。

【More・・・】

 この人物の正体が明示的に語られるのは、活動停止中の2003年にリリースされた『Heaven’s hell』においてである。彼女が愛した人は、沖縄の基地に駐留する米軍の男性と沖縄の女性との間に生まれた「アメラジアン」であった。Coccoは県内にその大半が集まる米軍基地について「基地の存在を否定することはその人を否定することになると思ったら、否定できなかった。どうやって共存していけるんだろうと考えていた。」(Cocco [2003])と語っている。彼女にとって「私の愛した美しい島」とは、生まれたときからずっと基地とともにあったそれなのだ。
彼女の歌の中でいくどとなく「私の愛した美しい島」と重ねあわせられる「あなた」は、基地の象徴であると同時に基地のある美しい沖縄をあらわしてもいる。しかし彼女は一方で、「その人の側で/愛する沖縄が容赦無く/彼に過(か)す仕打ちを見てきた。」(Cocco [2006a])。差別を受けるアメラジアンである彼は、ここで米軍兵士によって被害を受ける沖縄と重なる。そして、その「あなた」と依存しあい、傷つけあっていた記憶をつづるCocco自身もまた、基地に傷つけられながら経済的に基地に依存し、基地が生み出したアメラジアンの子どもたちを虐げもする多面的な沖縄を体現することになる。これらの関係性が互いに矛盾をはらみながら絡み合うことのアレゴリー的な表象である「あなた」そのものが、彼女の記憶の中の「オキナワ」だった。
『Heaven’s hell』には、「あなた」が登場する同名の曲が収録されている。その歌詞に書き添えられた宛名には「拝啓 沖縄様」とある。Coccoにとって、基地の存在を否定することは単に大切な人を否定するだけではなく、自分の愛していた「オキナワ」をもまた、否定する言説であったのだ。

歌手活動を停止し、沖縄に帰った当時のCoccoは、海が汚されて珊瑚が死んでゆく目の前の現実に「記憶の中とぜんぜん違う、知らない沖縄だったから」(Cocco [2003])というほどの衝撃を受けている。しかし上記のような認識を持っていた彼女は、本来ならば楽園のような美しい沖縄が米軍基地によって傷つけられた、という被害者としての記憶に回収されることを拒否した。「沖縄は第三者を責めすぎだと思う。米軍が基地を作って海を汚したとか、オニヒトデが珊瑚を食べちゃうから悪いとか言うけど、でもその前に自分の足元にあるゴミを拾ってから文句を言いましょうという話」(ibid.)という語りに、それが如実にあらわれている。
愛する人に容赦ない仕打ちをかす、愛する沖縄の「引き裂いて 壊したい」側面を目の当たりにしてきたCoccoは、自分たちは無垢であり、悪いものは外からやってきた侵入者がもたらしたという物語を信じることができなかったのだ。また、ただ「島から基地を追い出せ」というだけでは基地はリレーのバトンのように他の土地へ移り、もうひとつの「オキナワ」、もうひとりの「あなた」をその場所に暮らすものに強いるだけであるというシビアな現実も、彼女は見逃していない。

しかし、『Heaven’s hell』のリリース以降、彼女の主張は少しずつシフトしていくことになる。毎日新聞に連載された「想い事。」の中で、彼女はアメラジアンの男性の記憶を「あの頃の私に、/あの出会いは絶対だった。」(Cocco [2006a])とまとめたのち、「それでも米国軍人による犯罪や/事件は途絶えることが無く、/沖縄が傷付けられ/虐げられてきたことも/紛れも無い事実だ。(…)生まれて初めて/私は、はっきりと願った。/あの出会いを失くすとしても、/あの存在を/否定することになっても。(…)私達の美しい島を、/“基地の無い沖縄”を見てみたいと/初めて、願った。」(ibid.)と、葛藤の末に「あなた」に象徴される「オキナワ」ではなく、虐げられてきた「沖縄」の記憶を選択したことを表明している。
それ以降に彼女がつくった歌の中では、「あなた」という語がもちいられる回数がいちじるしく減少している。たとえ使われていたとしても、「あなた」は遠い日の愛すべき記憶として背景に退き、『首。』や『カウントダウン』といった初期の作品のように愛憎半ばする傷つけあいが現在形であらわれることは、もはやない。二人称の「あなた」は「その人」「彼」という三人称に相対化され、より大きな物語の中に位置づけられることになったのだ。そうすることによって、基地の存在が所与であった「オキナワ」の内部の矛盾というミクロの視点から、その「オキナワ」を構築した米軍の責任、さらにはそれを招いた日本と沖縄の歴史的関係性へと視座を移すことが可能になった。事実、その半年後には、Coccoはひめゆり隊をえがいたドキュメンタリー映画『ひめゆり』に関わるなど、今までとはちがう立ち位置から歴史や政治を語りはじめている。ここにきて、彼女は沖縄の「おばぁたち」(Cocco [2006b])の記憶を受け継ぐことを志向したのである。

Coccoは渋谷陽一による最新のインタビューの中で、やっと沖縄で歌ってもいいんだと思えたと語っている。(Cocco [2007])昨年の八月十五日まで、彼女は一貫して沖縄でコンサートを開くことを避けていたのだ。日本国の中の基地のある沖縄県を前提とした「沖縄県人」(Cocco ・堀[2001])から「沖縄人」(Cocco・渋谷 [2007])へとアイデンティティを組みかえ、戦争と占領の記憶を共有してはじめて、彼女は沖縄が自分をうけいれうることを実感したのである。
『Heaven’s hell』以前のCoccoの認識は、沖縄の現状を所与とすることによってアメリカと日本を免責し、沖縄の自己責任を強調しているという意味で確かに問題含みではあった。しかし、それでも私はかつての彼女の視点には大きな意義があると主張したい。それはもちろん、沖縄のひとびとが “Marines go home!” をうったえることをやめさせたいからでも、被害者としての側面ばかり強調せずに複雑な関係性に目を向けろといいたいからでもない。むしろ、核心は彼女が基地に対してイエスともノーともいえなかったこと自体にある。「“YES”も“NO”も/私は掲げてこなかった。(…)でも、“YES”か“NO”かを/問われることは/残酷だという事を知ってほしい。」(Cocco [2006a])というのは、前出の『想い事。』のなかの一節だ。Coccoはこの残酷な問いに“NO”とこたえてはじめて、みずからが「沖縄人」として承認されると信じることができた。残酷な問いに答えを出すことが、沖縄のひとびとに対してのみ踏み絵のように迫られているのである。
「本土」に暮らす私たち――私自身は在日中国人という少し特殊な立場にあるので、安易にこの語を使っていいのか解らないのだが――は、沖縄に基地の大半を引き受けさせることによって「“YES”か“NO”かを問われること」から、さしあたり回避しているにすぎない。それでいながら、米軍基地をめぐる矛盾と対立は沖縄に暮らすものたちだけの問題であると錯覚しがちではないだろうか。沖縄を「オキナワ」たらしめている現実は、私たちが日々の暮らしの中で現に選び取っているものなのである。「“YES”か“NO”か」の問いは、日常生活で基地の集中がもたらすものを経験せずにすんでいる私たちこそが、自分のこととして引き受けていく責任があるのではないだろうか。

引用文献一覧:
Cocco [1997]:
ブーゲンビリアブーゲンビリア
(1997/05/21)
Cocco

商品詳細を見る

Cocco [2003]:
Heaven's hell (通常版)Heaven's hell (通常版)
(2003/12/24)
Cocco

商品詳細を見る

Cocco [2006a]:楽園
Cocco[2006b]:ひめゆりの風
想い事。想い事。
(2007/08/10)
Cocco

商品詳細を見る

Cocco・堀 [2001]:Cocco・堀香織「船は着き、旅は終わる 歌は残り、永遠を探す」
Cocco―Forget it,let it go  SWITCH SPECIAL ISSUECocco―Forget it,let it go SWITCH SPECIAL ISSUE
(2001/04)
不明

商品詳細を見る

Cocco・渋谷 [2007]:Cocco・渋谷陽一「Cocco、新章へ」
bridge (ブリッジ) 2007年 08月号 [雑誌]bridge (ブリッジ) 2007年 08月号 [雑誌]
(2007/06/30)
不明

商品詳細を見る


↓Coccoを冒涜されたファンのあなたはコチラ
FC2ブログランキング
人気ブログランキング
スポンサーサイト

テーマ : 音楽的ひとりごと - ジャンル : 音楽

タグ : 音楽評 Cocco 沖縄 米軍基地

【編集】 |  23:58 |  ファイル倉庫  | TB(1)  | CM(4) | Top↑

Comment

こんにちわ。
久しぶりに覗いてみたらCoccoの事が書かれていて少し驚きました。
僕もCoccoが好きで数日前にCDを引っ張り出してきて聴きなおしていたばかりだったので。
でも、Coccoにこんな重そうな話があったとは知りませんでした。
きらきら買ってないんで買いに行こうかと思います。
マット |  2008.10.24(金) 05:22 | URL |  【編集】
●遅くなってごめんなさい
こんにちわ。

Coccoの歌に出てくる「あなた」はどんな人か、というのを昔から友人たちとの間で熱く語り合っていたので、『Heaven's Hell』が出た当時、予想もしていなかったエピソードにかなり驚いた記憶があります。
普遍的な愛をつづった歌だとばかり思っていたので…
もっとも、私の考察にはかなり飛躍というかアクロバットな部分があるので、話半分程度に受け取ってください(笑)

私もひさびさに、Coccoを聴きたくなってきました。
深海魚 |  2008.10.31(金) 04:55 | URL |  【編集】
●はじめまして
興味深く読ませてもらいました。

ありがとうございます。

@project3neMOTTO
ねもと |  2011.02.25(金) 00:33 | URL |  【編集】
●承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
 |  2015.12.25(金) 16:01 |  |  【編集】

コメントを投稿する

URL
コメント
パス  編集・削除するのに必要
非公開  管理者だけにコメントを表示
 

トラックバック

この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック

『大丈夫であるように---Cocco 終らない旅---』 10日ほど前に観てきました。だってCocco密着映画ですよ?ファンを名乗るものが、観ないですますこ...
2008/12/31(水) 06:09:29 | 今夜の焼きザカナ
 | HOME |