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2008年05月15日(木)

劇場のなかの「靖国」という劇場 

映画『靖国 YASUKUNI』公式サイト

金曜日に観てきました。渋谷シネアミューズは、警備のコストを差し引いてもここ一番の稼ぎ時なんじゃなかろうかという大入り満員。聞くところによると、午前中で1日分のチケットが売切れてしまうほどだったようです。私は友人が朝からチケット確保に走り回ってくれたおかげで、何とか席にありつけました。ありがとうありがとう。
観客は、外国人のグループやどこかのゼミかサークルできたと思われる大学生らしき人びとなど、ご団体さまが目立ちました。それに混ざって、私たちのように1人や2人できている方もちらほら。後ろの席に座っていたオジサン2人組が開演前から「中国人がこんな映画を撮って」うんぬんご高説のたまっていて、少々げんなりいたしました。

ストーリーは靖国刀を鋳造していた現役最後の刀匠である刈谷直治さんへのインタビューと、2005年8月15日(小泉参拝の年です)を中心とした靖国神社境内の映像を織り交ぜるかたちで作られています。観ていてすごく気になったのは、特に境内のシーンで館内に何度も笑いが巻き起こったことです。

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たとえば、軍服をまとって「戦争の犠牲となられた英霊のかたがたに、謹んで哀悼の誠をささげる。合掌!」と叫びながら拝殿に上っていくおじいちゃん。やはり軍服姿で、それほど巧くないラッパを吹きながらやってきて「次は、兵士が一番うれしい食事ラッパであります!」と正露丸のテーマを演奏する人びと。そういう姿がスクリーンに映し出されるたびに最初は「クククッ」と小さな声で、やがて観客の大部分を巻き込んで大きな笑い声がひびきます。
そういう私自身も、何箇所かこらえきれずに噴出してしまいました。1つは「小泉首相参拝を支持します」とかかれたプラカードと星条旗を掲げてやってきたアメリカ人に対して他の参拝客が「ぜひブッシュさんも連れてきてください、いやむしろ、ホワイトハウスに星条旗と日の丸一緒に揚げてくださいよ。日米開戦した12月8日に!」と、おそらくは親愛の情を示したつもりで言っているところ。もうひとつは、署名用紙を持って「署名にご協力お願いします。中共の捏造、南京大虐殺を否定する署名です!」と声を張り上げている集団のシーン。歴史的事実(という言葉がいやならば、歴史学上の通説と言いかえてもかまいませんが)をくつがえすのに「署名」を使う、という思考がなんとも斬新かつアナーキーです。いやあ、その発想はなかったわ。
ちなみにそのアメリカ人は、靖国に来た理由を聞かれて「アメリカは靖国問題に対して沈黙しているのです。中国や韓国が騒いでいる中で、リーダーが静かなのはおかしい」とさりげなくとんでもないことをおっしゃっています。最終的に追い出されてしまうのですが、非難の声をあげる参拝客から彼をかばい「あなたみたいなアメリカ人はすばらしい。日本人もあんなのばっかりじゃないから、ネ」と取り入ろうとする人が結構いたのが、情けないというか味わい深いというかなんというか。
滑稽に見えるのは、何も「右翼」的なものばかりではありません。監督は台湾原住民出身の戦没者の合祀取り下げを求める高金素梅さんと、浄土真宗の僧侶で父の合祀取り下げを求めて訴訟を起こしている菅原龍憲さんにインタビューをして、かれらの主張を聞き取っています(そこからこの映画が想定している主な観客は、かれらに一定の共感をおぼえうる層であることが推測できます)。しかしその後、 高金素梅さんとお仲間や支援者たちが実際に宮司に抗議にいく場面では、怒号とともにおしよせる群集が暴力的で、しまいに周りの人たちの叫びで高金さん本人の声までかき消してしまっています。それはある意味「ひいてしまう」ものとして描かれています。また、集会で君が代を歌う人々のところに抗議のために乱入した青年の振る舞いなども、本人は真摯なのに、むしろ真摯であればあるほど喜劇的にうつってしまうのです。小泉元首相の演説だって、例外ではありません。

おそらく、監督が描こうとしたのは主観的には非常にまじめな人びとをもヒステリックに、もしくは滑稽に見せてしまう「劇場」としての「終戦記念日の靖国」だったのでしょう。しかし、この「滑稽さ」は無条件に立ち現れてくるわけではないのです。私たち観客は、境内の喧騒から物理的にも時間的にも隔てられた映画館という安全地帯にいます。そこで主張も自らと遠く離れていると思われる人びとを笑っているわけです。それは明らかに、「アイタタタw」というあざけりの笑いでしょう。もし距離的にあるいは思想的に近しければ、私が高金さんの行動を「ひいてしまう」と表現したように「ここでやるなよ」「空気よめ」「誰か何とかしろよ」と、苦々しさを感じてしまうはずです。たとえるならば、電車のなかで1人キョロキョロしたり声をあげたりしている人を見るように(余談ですが、公共の場での「迷惑行為」の一部はこうした違和感をあたえる振る舞いを指しています)。
遠ければ笑い、近ければ「押さえつけてしまいたい」という欲望をいだく。ならば「笑い」の元になっているのは、笑う(嗤う)ことによって「私はあんな人たちとは無関係だ」と証明しようとする私たちの小市民根性そのものではないでしょうか。そう思うと、こみあげてくる笑いは苦い苦いものへと変わらざるをえませんでした。
ところで高金さんのシーンですが、字幕があまりにも簡略化されすぎていたように思います。彼女のことばに合わせて支援者の男性がかなり感情的な表現で「通訳」しているのですが、決して彼女が言ってもないことまで日本語にしていたわけではなく、むしろ字幕よりこっちの方が元の発言に近いものになっています。もちろん「クソ」とかそういうことばは使ってませんが、「あんたらの対応はクソみたいなもんです」→「あなたたちの対応には非常に不満です」みたいに、罵倒表現をより穏当で似たような意味の語におきかえればだいたい彼女の言ったとおりになります。もともと、かなり強い調子の抗議だったし。一箇所だけ完全に違うことを言っているところがあるのですが、前後から察するに単に本人の言葉がよく聞き取れなくて推測で訳しちゃったのだろうと。彼女が「私たちは、日本人ではありません」と話す場面がありますが、その後に実は「私たちはタイヤル人です、日本人ではありえないんです」という意味のこともおっしゃっています。そこは、ちゃんと字幕つけてほしかったなあと。単に「日本人ではない」というのと、それに代わるアイデンティティーを示すのとではやっぱり違うと思うのです。

一方で刈谷さんの映像では、インタビューと共に彼が日本刀を鋳造する様子もカメラにおさめられています。その刀匠に、「日本刀は何人か斬ると刃こぼれして斬れなくなると聞いたんですが」と話しかける監督。もちろん彼は、撮影時争われていた百人斬り訴訟(その後、原告が敗訴しました)を念頭においていたのでしょう。しかし刈谷さんは「そんなことはない。そんなことがあってはいけないのです!」と強い調子で否定します。「熱でぐにゃっとなった機関銃を斬ったことだってあるんだから」といいながら、彼は処刑台に寝かせた藁人形に向かって刀を振りかぶっている写真を取り出してきます。

刈谷:「こうやって藁束を3つも4つもいっぺんに斬れるんだから。こう、中にホネの代わりにね」
李:「ああ、ホネですか」
刈谷:「そうそう、青竹を入れてホネとおんなじ感触にね。昔は試し斬りとかしてたらしいけど、さすがにねぇ」

今は魂だとか、芸術だとか言われている日本刀も本来は人を斬るためのものなんだ、ということをいやというほど思い知らせてくれる一幕です。しかし思わずぎょっとするような内容を語る刈谷さんは、始終笑顔で誇らしげですらあります。そしてそこに、刀で捕虜を処刑しようとしている日本兵の写真がはさみこまれるのです。
ここは末尾の、昭和天皇親拝の写真と南京事件などを象徴するとされる写真(ただし、作中ではそれがどこで撮られた何なのかは示されません)や外国兵の生首などの写真とが交互に映されるシーンと並んで、批判の多いところでしょう。私の連れも、「凄惨な写真をあいだに入れるなんて、マイケル・ムーアみたいじゃないか」とちょっと怒っていました。しかし、それは決定的に違います。マイケル・ムーアのコラージュは、凄惨な事態が起こるのは誰か(たとえばブッシュ大統領)が邪悪であるか、飛びぬけて無能であるためだとほのめかすためにおこなわれます。しかし、李監督の撮る刈谷さんはあくまで職人気質で屈託のない、人のよさそうなおじいちゃんです。
靖国神社が戦没者を顕彰して後に続くものたちを奮い立たせる装置として、戦争遂行に大きな役割を果たしたこと。「死んだら靖国で神様になる」と教えられ、励まされた兵士たちが中国大陸やそのほかの場所で、写真にあるような惨事を引き起こしていったこと。「癒し系」の刀匠をはじめとする善意の人びとが装置としての「靖国」を支え、加担していたこと。つまり、南京事件をはじめとする多くの残虐な事件と、靖国刀の刀匠は、もしくは天皇は本人がどのような人であるかにかかわらずつながってしまっているということ。これらを「写真を挟み込む」という手法で表現しようとしたのならば、それは「おっしゃる通り」としか言いようがありません。酷な事実ではありますが。

そんなわけで、どの立場から見ても酷な映画ではありました。
私は稲田議員や有村議員のしたことは悪質であるか、百歩譲っても愚かであると確信しています。しかし、あの手この手で映画をつぶしたくなる人の気持ちもわからないではないなあ、と。主観的には非常に真摯な気持ちで靖国神社を訪れる人々が滑稽な姿としてとらえられていることや善意の人が戦争の加害側面と結びつけられることは、かれらに親近感を覚える人にとっては不快でしょう。特に、「笑われる」というのはかれらと主張を同じくする人にしてみれば強い怒りを覚えても無理はないと思います。議員向け試写会の後、民主党の議員(お名前失念)が「靖国賛美六割、批判四割」だという感想を述べたそうですが、あまりに鈍い。鈍すぎます。鼻が利く分、稲田さんのほうがまだ賢いでしょう。もっとも、自分の感じた反発を「反日映画」という言葉でしか表現できないボキャブラリーの貧困さには「あたまがわるい」タグを10個ほど進呈したいですが。
上で「酷」と書きましたが、これはテーマそのものからくるエグさや、ドキュメンタリー(いきもの地球紀行とか、24時間テレビとかじゃない所謂「ドキュメンタリー」)に避けがたくつきまとう残酷さによるものが大きいです。決して本作の撮りかた自体がエグいわけではなく、むしろ特に刈谷さんのシーンでは丁寧に丁寧に撮ろうとするあまり「やさしすぎる」仕上がりになっているように感じました。笑顔で藁人形斬りの写真を示す刈谷さんに対して監督が戸惑っている様子が伝わってきましたが、ここはもっと深く切り込んでほしかったと思います。観客は残酷なので、被写体に鋭い問いかけをしてうまれる緊張感にあふれた暴力的な映像をこそ、「深い」とか「凄い」とかいって喜ぶものなのです。その点、この映画はツッコミ不足ではないでしょうか。
参拝する人も批判する人も喜劇に取りこんでしまう「劇場」としての靖国と、戦争を推進する「装置」としての靖国。二つの靖国を描くことによって「靖国」という場を浮き彫りにすることがこの映画のテーマだったのでしょう。しかし、それにしては前者と後者をつないで全体としての「靖国」を成立させているものが何なのか、よく消化できていないように見えます。結果仕上がりとしては、チケット代を払うに値するしパンフレットも買ってもいいけど、DVDが出てもたぶん買わないだろうな、という感じです。着眼点はすごく面白いと思うので、ちょっと残念。
あと、刈谷さんに「小泉さんの靖国参拝をどう思いますか」と問われた監督が「刈谷さんは、どう思いますか」とそのまま返す場面があるのですが、私は監督自身のはっきりと言語化された答えをいつか聞きたいと思いました。


オススメ度:★★★☆☆
星4つでもいいかと思ったのですが、境内シーンの面白さのかなりの部分は8月15日に靖国神社に直接いって立ってれば味わえるような気がしたので1つ分減点しました。
ところであっとちゃんが「ばあちゃんが観たがってるんだけど、どんな映画?」と訊いてきたので、ここに書いたようなことをかいつまんで話しました。そしたら「…やっぱ見せないどこう」とのこと。それなりに面白い作品なのでもったいないですが、支持するにせよ批判するにせよまじめに靖国にかかわっている人たちが観客に笑われる、というのは人によっては耐え難いことなのでしょう。決して靖国神社そのものや訪れる人をバカにしているわけではないし、ましてや「反日」などではありえないですが。

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