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2008年05月11日(日)

夕凪の国 桜の街(間違い) 

※学校用にやっつけた書いたものの転用です。いつもと少し文体が違っているのは気にしないでください。なお、観てからだいぶ長い期間放置してしまった上に、締め切りをすっかり忘れていて前日の深夜に酔っ払いながら書いたので、解釈がかすってもいない可能性もあります。どうか鵜呑みにしませんように。

___映画『夕凪の街 桜の国』OFFICIAL SITE___

夕凪の街 桜の国夕凪の街 桜の国
(2008/03/28)
田中麗奈、藤村志保 他

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 本作は、昨年大きな話題を呼んだこうの史代『夕凪の街 桜の国』の実写映画化である。原爆投下の13年後とさらにその後の広島で、そして現代の東京で「その後」を生きる人々を描いた佳作だ。主人公たちと「ヒロシマ」とのつながりは、彼女らの生きる時間がふとした拍子から自らや父親の記憶の中の「ヒロシマ」と重なってしまうことによって表現されている。原作よりその点の描写を強めている分、展開がやや入り組んでごちゃごちゃした印象を受けるが、方向性は評価したい。皆実からフジミ、京花、七波へと受けつがれる髪留めをはじめ、野球やドアなど小物を使った演出も巧みだ。また、作中に登場するいくつかの歌は、重なる時間と流れている時間の双方を表現するのに使われている。

【More・・・】

 しかし彼女らにまとわりつく「ヒロシマ」は、時の経過とともに少しずつ意味を変えているように思える。皆実にとってのそれは、誰かから向けられた「死ねばいい」という明確な悪意だった。原爆に限らず戦災を生き延びた人の語りによく見られることだが、「死ね」と思われて実際に多くの人が死んでいったにもかかわらず自分が生きていることに、彼女は罪悪感を抱えている。一方、乳児のころに被爆した京花にとって、原爆は所与のものとしてあった。それゆえ彼女は、「ピカにおうて、足らんことになってしもうたんだと」と周囲にいわれても反論する言葉をもたない。だからこそ、「何でもかんで原爆に結びつけるのは、よくないと思う」という旭のたどたどしいセリフにも惹かれたのだ。原爆投下時に水戸に疎開していた旭には、知らぬあいだに家族や友人を奪った不気味なものとして原爆が現れる。彼は京花との出会いによって、生きた「ヒロシマ」と出会いなおしたのである。さらに下って七波や凪生の時代になると、もはや原爆は常に意識されるものではない。しかし母と祖母の死のときや、凪生と東子の交際が東子の両親によって反対されたときなどにひそやかにそれはささやかれる。皆実が「死ねばいい」と感じた悪意は、「あたしたちはそれでも、いつ死んでもおかしくないと思われるんだろうか」と、死を予感させる影のようにして付きまとっているのだ。
 七波は祖母の死後、一家で中野から田無へと移り住み、以前暮らしていた場所とは一切のかかわりをたったまま成長する。しかし夜中に不審な外出をする父の跡をつけたことから偶然、彼女は幼少時をすごした「桜並木の町」とそこに連なる「ヒロシマ」の影を体現するかつての親友東子と出会ってしまう。戸惑いながらも父を追って広島に行き、そこで父がたどる皆実や京花、そして「ヒロシマ」を生きた人々の記憶を追体験するのである。旭が京花に出会ったときのように、ここにきて七波の「影」ははじめて、具体的なかたちを持ったものへと変わっている。同行した東子が平和記念公園の展示にショックを受けつつもそれを受け入れようとするのをみて、「桜並木の街」が拒絶してきた「ヒロシマ」との和解を感じた彼女は、「ヒロシマ」を自分に連なるものとして受け止め、「桜並木の街」の記憶との和解を果たすのである。二人が子ども時代の流行歌と思われる『Diamonds』をともに歌う姿は印象的だ。
 『夕凪の街 桜の国』の「夕凪の街」と「桜の国」を隔てるものは、字面の上ではたった一文字分のスペースだが、決して一筋縄で乗り越えられるものではない。幾重もの曲折をへて、七波の生きる世界はやっと「夕凪の街」を歴史に含んだ「桜の国」として語りなおされるのだ。

 気にかかるのは、フジミの沈黙である。彼女は皆実の死後も、驚くほど被爆の記憶を語ろうとしない。時に口にされる断片的な言葉からわかるのは、子どもたちが被爆者と結婚するのを極度に嫌がっていること、その理由が「これ以上、ピカで家族が死ぬとこ見るのは嫌なんよ」ということだけである。フジミだけでなく、直接に被爆した多くの人が、不自然なまでに口をつぐんでいると皆実は独白している。そのわけを彼女は「みんないまだに/わけがわからないのだ」「母は、何も見とらんのです。あの日のこと」と語っているが、フジミにしたって原爆をただ「わけがわからない」ものとして切断処理していたわけではないだろう。おそらく、皆実をさいなんでいたのと同様の罪悪感を、彼女ももちつづけていたのではないだろうか。皆実の記憶とフジミの記憶とが出会って和解できていれば、フジミが死の床で七波を皆実の友人と誤認して語りかけた言葉は、もっと違うものになりえたように思う。

 本作は比較的原作に忠実な映画化だが、原作のもつ雰囲気までは再現できなかったように感じられてならない。たとえばコミック版「桜の国」第二部の七波と東子は、2004年(映画では2007年)とは思えないほど古風な服装をしている。私にはそれが、七波が自分にまとわりつく「桜並木の街」を、さらに「ヒロシマ」を無理に切り離してきたために時が止まっていることの象徴に思えた。その点が映画版の衣装には引き継がれていない。また、原作では古田や打越の再登場ははっきりとした説明がなされず、ワンピースや禿げた頭といったアイテムをたどって読者自身が発見しなければならないつくりになっている。そのあたりの抑えた描写が、作品に独特の空気感をもたらしていた。一度で物語を理解させなければならない映画作品ではそのような演出は難しいのかもしれないが、それにしたって説明過多のうるささを感じてしまったのは私だけではないだろう。その点が、どうにも惜しい。


オススメ度:★★★☆☆

へびあし
なお、私がこの作品を知ったのは友人と一緒に受けていた文学社会学の授業上です。「文学と記憶」ってテーマで具体的な作品に沿って一本書いてきなさいと課題を出されて、私はCocco論なんてものでお茶を濁したのですが、そのときに彼女が取り上げたのがこれの原作だったのでした。

夕凪の街桜の国夕凪の街桜の国
(2004/10)
こうの 史代

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おかげで、いいものに出会えたなあと。ありがとEちゃん。

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テーマ : 日本映画 - ジャンル : 映画

タグ : 映画評 こうの史代 佐々部清 麻生久美子 田中麗奈 ヒロシマ

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Comment

ご指名いただきました(?)Eですこんばんは。

私は未だ映画を観ておらず、レポート自体も、なぜこの作品(原作)が生まれたか、なぜ受け入れられているのか、という周辺的なことが中心だったので、作品そのものについての解釈面白く読ませてもらいました。
原作は最近文庫本にもなったので、これから先の受容のされ方も気になっているところです。
海外でも訳されてるみたいだし。

また深海魚ちゃんのおしゃべりがききたい!
E |  2008.05.16(金) 22:16 | URL |  【編集】
●わぁ!
お久しぶりです。

果たしてこれが解釈になっているのかどうか…作品観てから、3週間近く放置してたし(汗)
原作は各国語に訳されはじめてるみたいですね。個人的には、大人気の日本の漫画の一作品ということで、中国版が出てくれないかなあとひそかに期待しております。あちらの人はどうも「原爆」に対して微妙な態度をとらざるをえない(歯切れ悪く「でも、それで戦争終結が早まったし…」みたいな)ところがありまして、この作品が戦災被害の記憶が国境で引き裂かれている現状をのりこえるひとつのきっかけにならないだろうか、と。まあ、無理でしょうが…

あたしもまたおしゃべりしたい!そのうちみんなで日にちをあわせて某インターキャンパス(笑)にお邪魔したり、できないもんですかねえ。
深海魚 |  2008.05.17(土) 18:58 | URL |  【編集】

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