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2008年05月08日(木)

ラブホテルと"アジール" 

パーク アンド ラブホテル
先日授業で知り合った不思議な後輩とラブホテルネタで盛り上がったのを思い出し、別の後輩と遊びに行った機会に観てまいりました。場所は円山町のど真ん中にあるユーロスペース。私のお気に入りの劇場のひとつです。作中の風景をよく見ていると、舞台になっているのもまた円山町であることがわかります。古びた感じの映像なのでまったく違う場所のようにも思えるのですが、映画館のすぐそばにある「Will」というホテルの看板が、映画内にも出てくるんですね。昨年の渋谷区円山町といい、「円山町で円山町の映画を流す」というのは何かのブームなんでしょうかね。いや、円山町好きだけどさ。
後で調べたら、正しい舞台は新宿でした…。あのホテルはチェーン店だったのか!ぎゃー、恥ずかしい。
本作は、初老の女性「艶子」が運営するラブホテルの屋上に設けられた小さな公園と、そこを訪れる人々との交流を描いた3部構成になっています。小さいころに離別した父親のいる町を訪ね、そのまま自殺を図ろうとする「美夏」。セックスレスの夫と暮らし、月までいける歩数を目指してひたすら歩きつづける「月」。銀のアタッシュケースを片手に毎回違う男とやってくる常連「マイカ」。公園で遊ぶ子どもたちやつかの間の休憩をとりにくる大人たちも、風景としていい味を出しています。

(以下、ネタバレあり)

【More・・・】

「公園」の意味を、冒頭で常連の男の子が美香に対して語っています。

「ここって、何?」
「アジール」
「…何それ」
「解放区!」

まあ、「アジール」なんて言葉をつかう小学生は普通にキモチワルいわけですが。通常、「アジール」とは公的な秩序や権力に支配されない「聖域」や「避難所」のことをさします。近代社会では、公共空間での権利義務関係や法律とは違う仕組みで動いている、親密な関係からなる私的空間としての「家庭」がその役割を果たしているといわれています。しかし登場人物たちの家庭はさまざまな理由からアジールとしての機能を果たせなくなっているのです。「公園」は、働き、学び、よき家庭人として生きなければならない「外」のルールから一時はずれることのできる避難所であり、擬似家庭的な役目ももっている場として描かれていることがわかります。

主人公たちはみな、子をもたない女性たちです。美香は13歳にして髪を白く染め、「もう十分生きた!」と自分がすでに晩年になってしまったことを宣言します。夜遅くまで帰らない夫とのすれ違い生活をつづける月もまた、結婚して少なくとも16年がたっているのに子がいないことがしめされています。艶子は彼女らと一時生活をともにしたのち、二人を家庭へと帰すのです。
しかし、不妊症のマイカはそうやって「あるべき家庭」に回帰することができません。実は艶子にもまた、夫に失踪されたあげくに先立たれ、もはや子を産み育てることがなくなったという過去があったのでした。「公園」は、道楽者の夫が「いつか子どもが遊べるように」と建てたものだったのです。艶子は夕暮れになると、公園でくつろぐ人びとを「人間は日が落ちたら帰るものです。自分が人間だと思う人は帰りましょう」といって追い立てるように家に帰らせます。しかし彼女自身は、いつまでもその場に取りのこされるのです。帰る場所のない二人の女はここにきて向きあい、公園にとどまり続ける存在としての自分を受け入れていきます。その姿に、いつも公園の片隅の小屋に陣取り、一番後まで残っていく3人の少年たちが重なります。艶子とマイカはどちらもとうに大人で、片方は「おばあちゃん」役をつとめてさえいるのに、どこか子どものままでいざるをえないのです。
最初の美香編は「アジール」という言葉を出してしまったこともふくめ、説明過多なのが鼻につきますが、月編とマイカ編はいいです。ただ、父親と再会した美香が写真送りつけてくるエピソードとかは余計だった気がするなあ。

ところでこの作品、上にも書いたように「懐かしさ」を前面に出すような撮りかたがされているんですね。ぶっきらぼうの艶子と一緒にご飯を食べることを通して他の登場人物が安心を感じる、というのも言葉がなくてもただ一緒に食卓をかこめば一体感をえることのできた「古きよき家族」の再来としてとらえられているからでしょう。一方、そのすぐ近くで月が暮らしているマンションは非常に人工的なデザインになっています。どうしても、現代社会で失われたとされている共同性への郷愁的なものを読みとってしまうのです。
しかし、年齢的なものかもしれませんが、深海魚はどうもそういうのにはノれないのです。先日看護学校の先生が「今の社会では子どもの居場所がなくなって、商業化されてしまっている。商業化に取り込まれない居場所を、公的に作っていくことが必要」とおっしゃっていましたが、彼が前提にしている「商業化された場所にしか居場所がないのは寂しい」というおそらく本作とも重なるような感覚を、私は共有できませんでした。私が多感な年頃の子どもだったころは、「周囲の人びとの温かみが感じられる居場所」などよりもゲームセンターやカラオケなど、ある一定の対価を払えばそれ以上介入されることのない空間の方がよっぽどありがたかったんですよね。思う存分、親しい関係の人だけを集めてそこで「閉じ」てしまえますし。
だから、本来のアジールは家庭や地域社会であるべきだ、という価値観自体が、よくわかりません。そりゃ、「懐かしさ」「レトロ」への欲望はあるけれど、古いと思われているものそのものよりも、それを新しいものばかりの中に放りこんで生じるちぐはぐさに惹かれてしまうしなあ。「レトロ」なものがもつ文脈を全部切りはなして、単に「かわいい」ものとして消費するっていうか。

ところで最後の方で、マイカと艶子のあいだにこんなやりとりがあります。

「あたしは精子になりたいの。精子って、一途だよね。わき目もふらずに、自分が死んでも卵子へむかっていく精子の行為をなんというか答えよ」
「恋?」
「では、どんな精子でもすべて受け入れる卵子の行為は?」
「…愛」

これについて後輩(♂)が「精子とか生々しすぎる」と文句を言っていたんですが、私はそこには抵抗を感じず、むしろ卵子を「受け入れる愛」にたとえる方が嫌な感じがしたのでした。これって、やっぱり同性の方がより嫌、ってことなんでしょうかね。
あと、マイカの後輩がマイカに「おばあちゃん理論」って知ってますか、ともちかけているのを観て笑いました。これって石原都知事が「文明が生んだ一番悪しきものはババア」発言のいいわけに使ったアレですよね。芸が細かいなあ。


オススメ度:★★★☆☆

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テーマ : 日本映画 - ジャンル : 映画

タグ : 映画評 ラブホテル アジール りりィ 熊坂出

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Comment

愛は最初に着いた精子にだけ開かれて,その他の恋は無視するって事ですか.
一途な恋も報われるのは一つだけ.
玉響 |  2008.05.09(金) 15:12 | URL |  【編集】
●はは
選ばずに受け入れて、しかも「一途」でいようとしたら必然的に先着一名様のみご当選、になりますよね(笑)
まあ、私は卵子ではないのでもっとこう、門戸を広く…って何を言ってるんだ。
深海魚 |  2008.05.12(月) 04:16 | URL |  【編集】

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