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2008年04月25日(金)

判決、そして… 

■22日昼、先輩から光市母子殺害事件差戻し控訴審で死刑判決が出たことを伝えるメールが届いた。それ自体は、「ああ、そうか」というしかない。もちろん以前書いたようにあたしは死刑廃止論者なので(まだ揺らいではいるけど)、非常に苦い裁定ではある。というか、被害者がもう帰ってはこないことを考えると、本当ならばいかなる判決がくだろうと立場をとわず苦いものにしかならないはずなのだけど。しかし死刑判決が出る可能性が高いのはわかっていたし、その意味では誰もがうすうす予想していたことだ。だから、量刑自体に驚きはない。
「詳しい判決理由はわかりますか」と訊くと、「お昼の速報で判決が出てたから、夕刊には載るだろう」とのこと。夕刊といわれても、

 我が家にゃ新聞も~ ネットもなんにもない♪

という状態なのだから困ってしまう。それでも記事を引用しているいくつかのブログをとおしてなんとか報道にアクセスし、ケータイの小さな画面で判決要旨を拾い読みした。
この記事もほとんどをケータイのメモ帳機能を利用して書いているので、タグうちをするとかなり手間がかかってしまう。だから、基本的に引用やリンクといった作業は省略させていただきたい。幾分根拠をたどりにくくなってしまうけれど。

【More・・・】

■判決文は弁護側が出してきた新たな主張を逐一否定し、一、二審の事実認定を擁護して差戻し判決後に主張を翻した元少年の釈明を虚偽と断じ、死刑を回避すべき理由はないと結論づけている。なお、以下、産経新聞の判決要旨を念頭において書いていると思ってほしい。
たしかに報道された弁護側主張をみると「被告人がウソついてんじゃねーの」という印象をもってしまうのは否めないけれど、元弁護団の一員でその後解任された今枝仁さんのブログによれば、荒唐無稽にもみえる「ドラえもん」「蘇生の儀式」などは枝葉の部分であり、主張の本筋からは外れているらしい。あたしは弁護側の最終弁論を読んでいないどころか、そこは情報弱者の悲しさ、判決要旨にさえいまだ全部は目を通せていない。だから、弁護側主張がどのようなもので、どのくらい妥当性があって、判決文はどの程度それに正面から応えているのか判断することはできない。というか、読んだところで司法における事実認定のありかたをきちんと学んだことのない深海魚ではどちらにしろ、判断なんかできない気もする。まあ、そのできないことをやらなきゃならないのが裁判員制度ってヤツなんだけどさ。
最初はわからないなりに何か書こうかとも思ったのだけど、結局ひっこめることにした。というのも、弁護戦術を品評したり被告人や弁護団の「真意」を推測しようとする前にせめて最終弁論読んでくれ、と悲鳴をあげている人をみかけて、ごもっともと思ったもので。

ただ、弁護側主張の当否をわきにおいても、いくつか素人目にみて釈然としない部分はある。
まず、被告人が法廷において長い間一、二審の認定に反する主張をしないでおきながら初対面の安田弁護士にいきなり打ち明けたのは不自然、というものだ。彼は二審の弁護人を信用していたとみられるのに、その人にさえ言わなかったのはおかしい、ということらしい。けれど、検察にしろ弁護士にしろ拘留下にある被告人にとっては生殺与奪を握られているといっていいほど圧倒的な知識と権力をもった存在である。信用している弁護人から、無理に事実を争うより反省の色をみせたほうが死刑を回避できる、といわれれば従ってしまってもおかしくはない。ましてや当時は実際にそれで無期判決がくだっていたのだ。冤罪あるいは冤罪の可能性が高いとされている事件のなかにも、恭順姿勢をとっていた被告が長い時間を経て否認に転じた例があったはずである。それに、信用している相手であっても、いや、信用している相手だからこそ言えないことがあり、追いつめられた(たとえば、最高裁で判決を差し戻されたとか)拍子にそれをつい、初対面のよくわからない人にぶちまけてしまうこともある、というのは日常の感覚でも理解可能だ。念のためいっておくけれど、あたしはもちろん元少年の心なんか、知らない。ただ、同じ前提から判決とはちがう推測をみちびくこともできるかもしれないというだけだ。
もうひとつ、もっと納得いかないのは被告人が主張を変えたこと自体が反省していない証拠とみなされ、最高刑を科す理由のひとつとされたことである。すでにあちこちで指摘されていることではあるけれど、不利な起訴事実を黙って受けいれれば刑が重くなり、かといって異をとなえれば反省の色なしとしてやっぱり刑が重くなる。どないせえっちゅーんじゃ、という話である。これじゃ、特に殺意や計画性の有無など、微妙な立証になりがちだけれど罪名や量刑に大きく影響をあたえるような事実を争うことは、かなりやりづらくなっちゃうんじゃないか。
二つあわせてみると、審理の途中で主張を変遷させたり事実認定をあらそったりすることへのハードルをつり上げているように読めてしまう。これから冤罪や、部分的な冤罪や、不当に重い量刑が増えたりしないか心配だ。他にとるべき選択肢がないときはやむをえず死刑(永山基準)からとくに酌むべき事情がなければ死刑、に判断がかわっていることも考えると、これは結構こあい。単にこれがのちのち影響してくることが怖いだけではない。一国の高裁が誰かを殺すことを宣言するのに、こんなこと(だけじゃないけど)を理由にできてしまうのが恐ろしい。あたしたちはこんな理由で元少年を殺すことに同意するのか。そんなことできない。いかなる理由でも死刑は正しくないという意見に同調しない人であっても、これは認められないはずだ、と思うけれど、今は上告審をみまもることしかできない。けれど、判断がくつがえされる確率は低いのだろう。

■今回の判決を受けて、弁護団の方針が悪かったから死刑をまねいた、素直に反省して情状面に訴えればちがったかもしれないのに、という人がたくさんいる。けど、それは間違っていると思う。だって、情状を考慮して無期と判断した二審判決を、最高裁ははっきりとそれだけでは死刑を避けるべきでないと示して破棄しているんだから。その上で被告を守ろうとすれば、いままでと主張を変えるほかに方法はない(なのに主張を変えたのが悪いという判断が出たから、ヤバイのだ)。物事に絶対はないから万にひとつ、情状に訴えてもう一度死刑を逃れられた可能性もないとは言いきらないでおくけれど、あたしの親しんでいる日本語ではそういうのを「後知恵」という。いや、もうひとつの道の実現可能性が限りなく低いから、後知恵の体さえなしてないか。
弁護団の主張を批判するのは、かまわないと思う。あたしには判断できないけれど、彼らにだって批判されるべき穴はきっとあるのだろう。けれどそれなら、一、二審の方針を踏襲することもまた否定しなければおかしい。じゃなきゃ、あなたの意味するところはこうだ。

 「どうせ死刑になるんだから、悪あがきしないで潔く死ね」

ホントにそう思っている人もいそうだけど、司法は訴訟当事者たちが全力で争ったうえで(刑事裁判は国家対個人という非対称性も考慮しなきゃいけないだろうけど)結論を出すからこそそれが「真実」たりうるはずだ。たとえときに建前と化すことがあったとしても、その原則を大事だと思うあたしにはそんな考え方は受けいれられない。原則を揺るがしてまで何を得ようとしているのか、ぜんぜん理解できないのだ。

■冒頭の「先輩」とは別の先輩から、判決自体に興味はないけれどこの事件の裁判に9年もかかったことは納得できない、と言われた。重大事件にはよくあることだけど、確に長いといえば長い。
そういえばなんでそんなに時間がかかったのかと思い調べてみると、差戻し前控訴審判決が出てから最高裁の弁論期日が決まるまでに3年9ヶ月を経ているらしい。差戻し審自体は、かなり迅速に進んでいる。これには弁護団が21人もいたことが効を奏していると考えていいだろう。
もちろん、9年という歳月が遺族はもちろん、被告人にとっても長く厳しい日々であったことに異論はない。長い年月をかけることによって被告人が内省を深めることもあるとはいえ、審理の質を落とさずに(これ大前提)より短くできればそれにこしたことはないだろう。けど、時間がかかったのは少なくとも今の弁護団のせいじゃない。
いじわるな言い方になってしまうけれど、この裁判がより迅速に終わっていたとして、もし二審の無期判決がそのまま確定したり、傷害致死がみとめられて有期刑がくだったとしても、今回裁判が長いことに文句をいっていた人たちは「裁判の迅速化」を評価してただろうか。「もっと早く結論を出すべきだった」は、あたしには「もっと早く自分の気に入る結論を出すべきだった」に見えてしまう。

■死刑そのものの是非については、森達也さんの死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う感想で書いたことのくりかえしになる。
第三者が死刑をのぞむ心理は、決して「被害者や遺族の心情をおもんぱかって」ということばに集約できるものじゃないはずだ。その中には「正義感」や犯罪者が社会に戻ってこない「安心」もあれば、フィクションの中で悪役が殺されるのをながめて胸がすっとするようなもっと野蛮なものもある。日本では加害者の家族と被害者遺族が一致したり、家族でなくとも加害者もまた被害者や遺族の顔見知りであるような殺人も、相対的に多い。このような事件では遺族が死刑を表だって望まないことも多いけれど、それでも「そんなヤツ殺しててしまえ」という声がなくならないのは、そうでなければ説明がつかないだろう。
そうした一切合切を「被害者のため」で覆いかくしてしまうのは、被害者(や、多くの場合は遺族)に死刑囚の死にたいする責任を押しつけていることになる。たとえは悪いけれど、それは遺族を「死刑」という祝祭をとりしきる巫女にまつりあげているようなものだ。遺族の中にはそれを引き受けてもいいから加害者を死刑にしてくれ、という人もきっといる。本村さんにも、その覚悟はあるように思える。しかし、彼/彼女が覚悟していようがいなかろうが、役目を押しつけることはあたしたちにとって都合のいいことであり、それゆえそのまま受けいれることはできない。
これはあたしをふくめた、死刑廃止をのぞむ人にもいえることだと思う。死刑よりも遺族にケアを、といくらいってみても、遺族の求め(たとえば憎しみをはらすこと)に応えられない部分はかならず残る。死刑を廃止するべきだとの主張は、絶対にどこかで被害者や遺族よりも他のものを優先している。
そもそも、求めに完全に応えることなどできるわけはないのだ。だって、死んだ人は帰ってこないのだから。「サーカス」としての死刑で溜飲を下げたがる残酷さ。あるいは、「社会全体のためにお前の愛する人をうばった者を赦さねばならない」と言いはなつような冷酷さ。そうした「被害者のため」をいいわけにできない部分、遺族を盾にとれない部分をあたしたちはもっと直視して、ことばにしていかなきゃならないのだと思う。死刑を語ることはその上で「それでも死刑は○○すべき」と語ることだ。

ところで死刑廃止の条件として、仮釈放なしの終身刑の設置をいう人がいる。受刑者を永遠に社会から排除することを前提とした刑罰であるからという理由で死刑に反対している人はそれにも反対なのだろうし、あたしも消極的なのだけれど、ひとつの検討すべき提案ではある。ただし、後ろ向きに。あたしのように隣にどんな人が住んでいるか知ろうともせず、実家にいたころも何度も同じ場所で痴漢やストーカーに遭っても気にせずに夜中に出歩いていた神経の太い人ならばともかく、そうでない人にとってかつて凶悪犯だった人が近くで暮らしているかもしれないというのはとても恐ろしいのだろう。自分が被害者やその家族になる可能性は想像できても、加害者やその家族になる可能性は想像できない、したくないような人ならばなおさらだ。
けれど仮釈放ありの終身刑、つまり日本の無期懲役刑と大差ない最高刑しかもたずに死刑を廃止している国も、世界にはたくさんある。それらの国に暮らす人は犯罪者や、彼/彼女らがいつか社会のなかで暮らすようになる可能性をどのように受けいれて生きているのか、知りたいなと思った。たぶん仮釈放の審査に被害者や遺族が参加できるようなしくみがあったりするんだろうけど、ちゃんと調べてみたほうがよさそうだ。
以前機会があってLifers ライファーズ 終身刑を超えての坂上香さんのお話をきいたときは、「人格障害があると再犯率が高いので仮釈放されない」みたいな、おいおいホントにそれでいいのかよと言いたくなるような話もあった気がする。とりあえず、『ライファーズ』観なきゃな。

■この事件に関する話題にふれると、弁護団への懲戒請求さわぎをどうしても思い出す。あのときは、法律家は刑事弁護の必要性がどうとか論理ばかりいうけど、一般市民の感情としてあんな主張をする弁護団を許すことはできない!という言説がまかりとおっていた。槍玉にあげられた側も自分がエキスパートであり、論理的で知性の側にあるということは手放したくないとみえて、なんだか共犯関係でしょうもない二分法をささえているように感じられたものだ。
けれど深海魚は非専門家であるという意味では、まさに「一般市民」なのだ。まあ、脳ミソの中身が一般的かといわれると自信ないけどさ。大学などに設置されている一般教養レベルの法学もかじってないから、むしろ「一般」以下?というわけで、これは一般市民の意見であることを明記しておく。それに論理か感情かという問題でもない。「感情」をいいたてていた側だって、出来はともかく、いっしょうけんめい理屈をこねようとしてたじゃないか。「なんで遺族をきずつけてまで、あんなヤツをかばうんだ」が感情ならば、「一般人一般人ウルセーんだよ。変に噴きあがっててキモい」というのだって感情なのだ。あたしたちは誰だってそこから論理をつむいでいる。
つーか、一般市民の感情バカにすんな。

あ、誰か綿井健陽さんを止めてください。辞めちゃだめー!
それから、今枝さんのブログを見にいったらなんだか大変なことになっていたので、こっちも別の意味でそろそろ誰かが止めたほうがいいのかもしれない。けれどああやって動揺や「人間くささ」を表にだすところが彼の魅力でもあって、それゆえメディアで発言の場をもつことができたのだろうな、と思う。彼のブログでの情報発信は、多くの人が刑事裁判への理解を深めるきっかけになったはずだ。守秘義務がどうとか内部事情がこうとかとのかねあいになってしまうと微妙なんだろうけど、それでも有意義だったとあたしは思う。というか、あたし自身彼に思考をうながされた一人でもある。

■へびあし
ここまで書いて、安田さんの強制執行妨害事件が高裁で逆転有罪になったというニュースを目にして、飲んでいたカフェオレのカップをとりおとしそうになった。あ、あ、あ、ありえねー!!
どうありえないかは各自しらべていただきたいのだけれど、つまり安田さんをむりやりな捜査と立証で起訴し、長期拘留した事件なのである。彼が当時引き受けていたオウム事件の松本千津夫(麻原彰晃)被告(当時)の主任弁護人としてのしごとを邪魔するためにわざとでっちあげたんじゃないか、と疑われてもしかたないようなタイミングだったらしい。
ちなみに、前出の『死刑』によれば、一審で無罪判決をくだした裁判長は判決文中で検察のやりかたをきびしく批判したうえで、安田さんに「あなたとはもう一度法廷で、できれば今度は別の形でお会いしたい」と語りかけた、という。

あああ、司法不信の暗雲が心のなかでもくもくしてきてしまった。どうしてくれよう。
とりあえず知り合いのロー生にでもぶつけてすっきりしようか。

↓忙しいのに迷惑な…と思うロー生はコチラ
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テーマ : 光市母子殺害事件 - ジャンル : ニュース

タグ : ニュース 光市母子殺害事件 司法 刑事裁判 死刑

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Comment

面白く読ませていただきました.

安田弁護士の件は驚きましたね.2000人以上の弁護士が弁護団に加わって援護したにも関わらず有罪とは.
一般市民の感情と専門家の意見の相反から来る司法不振への対策は,有名無実の裁判員制度ですかね.
いくら真面目に考えるにしても,無知識の法律の素人の意見なんてのは参考程度にしかしないでしょう.
・・・とはいえ,司法は何だかんだで一般大衆の意見を考慮する事が多いので,少し心配.
手紙や電話でクレームいっぱい送ると判決が重くなるってのはどうなんだろう.団体最強ってことでしょうか.

死刑に関しては,殺してしまったらもうどうしようもないな と思いますね.
犯罪抑止にせよ再犯防止にせよもっと他にやり方・・・脳味噌コネコネしてしまうとかあると思うんですが,倫理的に問題があるんでしょうかw

そういえば,中国人・韓国人と話していたときに「日本人は死ねば解決すると思うのか?」と聞かれたことがあります.
どうも日本人は他国に比べて死の持つ力が大きいようで,死を持って罪を償った という発想があるらしいです.
問題を起こした人が自殺したりして「責任を取る」というのも,韓国人あたりからすると理解できないらしい.
悪人なら死んだ後も墓ぶち壊しに行くよ とコリアンは豪語してましたw
自殺率が高い事や,死刑をまったく廃止する気が無いってのは,こういうお国柄が関係しているのかもしれんですね.

凶悪犯の首に縄つけて落とすのは良いけど,脳味噌コネコネして人格変えるのはダメって理屈はどうも納得できないなぁ
玉響 |  2008.04.26(土) 18:33 | URL |  【編集】
お誉めにあずかり、光栄です。かなりおっかなびっくりで書いてたもので…推測をある程度は排除したとはいえ、自信のない部分は山のようにあるので。最高裁での差し戻し決定の解釈はこれで合ってるのかなとか、永山基準は本当に動いたと言えるのかなとか、いろいろと。誰か詳しい方の目にとまって、ツッコミをいただけるといいのですが。

安田事件は、罰金刑に未決拘留期間を参入して実質新たな損失が何も発生しないようになっているらしく…外野からみるとどうしても、検察の顔を立てるためにそれで手打ちにしたんじゃないの-、と思ってしまいます。それにしても2100人はすごいですよね。21人なんて可愛いもんです。

>いくら真面目に考えるにしても,無知識の法律の素人の意見なんてのは参考程度にしかしないでしょう.
しかし素人が量刑まで決めるわけですからね。
法はわれわれの最低限の道徳規範である、という考えがあると思うのですが、その道徳とやらが万人のものでなく「日本国民の/民族的マジョリティの/男性の/健常者の/ホワイトカラーの」ものとして形成され司法の中にも受け継がれている側面はたしかにあると思うのです。それに対して「われわれ」の多様さを提示していくことは必要だと思うんですが、昨今の「世論」とやらを見ていると裁判員制度がむしろ逆効果に働きそうな…多数派の価値観がそのまま反映されることに対するあるべき歯止めまでも掘りくずしてしまうんでないかと心配です。
ていうか、そういう問題意識からすれば、刑事のそれも重大事件にのみ選択的に裁判員を導入するって時点でごまかしくさ(ry

>脳味噌コネコネ
効果がみられない上に患者の人格を荒廃させたロボトミー手術のことなどがよく言われますが、効果があって副作用が少なければいい、という問題ではないですよね。
一つ言えるのは、ある人が人格のレベルにおいてその人であるという同一性をたもっていてはじめて、彼/彼女に対して刑罰を科したり法的なものにとどまらない責任を問っていくことができるのではないかと。また、行為に対する罰ではなく「危険」に対する予防を行うことが広範に認められてしまうと、「リスクが高い」と見なされる属性(それが事実かはともかく)をおびた少数者が恣意的に「リスク管理」の措置を施されるようになるのではないか、というのもありますね。エントリー中で紹介した「人格障害者は仮釈放されない」という話に「おいおい」と思ってしまったのも、そうした観点からです。
とはいえ、たしかに死刑はいいけど人格改造はダメというのは生命そのものよりも人格としての存在を根底におく価値観の現れなのかもしれませんね。基本的に反パーソン論なんで、その辺は警戒をおこたらないようにしたいです。

>中国人・韓国人
その中国は死刑大国である一方で、韓国は事実上の死刑廃止国と名指されるようになり、大きな差異が生まれてるんですけどね。
死を持って罪を償ったという発想だとか、自殺したりして「責任を取る」というのなら罪人に刀でも与えればいいのであって、自殺を徹底的に防止して死刑に処すというのは「死をもって償う文化」とはまったく繋がらないと思います。
「死んだら解決すると思うのか」というのは、加害者が処刑されたあとも傷をかかえながら生き延びていかなくてはならない被害者や遺族のことなどわきにおいて、「悪人は懲らしめられました、これにて一件落着」とばかりに忘却してしまう無責任な「世間」にこそ、向けられるべきことばではではでしょうか。
深海魚 |  2008.04.30(水) 01:56 | URL |  【編集】
あーっと、日本の司法…というか近代国家としての体裁は、明治の国民国家創出と敗戦の二度にわたって「外」からの影響を受けてるんだった。

西洋近代的な、つまり「白人の/男性の/健常者の/異性愛者の/ホワイトカラーの」道徳の上に「日本国民の/民族的マジョリティの/男性の/健常者の/ホワイトカラーの」それが乗っかっていると言うべきでした。
深海魚 |  2008.04.30(水) 13:35 | URL |  【編集】

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