2007年06月18日(月)
君のためなら死ねる(違)
■このブログでもおなじみのお友達・雲銀くんと映画を観にいってまいりました。人呼んで外道コンビです。
観てきたのは、共通の友人(Rickyくん)に勧められたアノ作品。
正しくは、『俺は、君のためにこそ死ににいく』ですな。太平洋戦争末期、追いつめられた日本は若い航空兵に飛行機を与え、米軍の空母に「特攻」という名の突撃をさせました。この映画は、出撃していく特攻隊員たちの葛藤と勇姿を、知覧で食堂を営んで隊員たちに慕われていた「鳥濱トメ」という実在の人物の目から描いています。
(以下、ネタバレを含みます。それでもいい方のみ「続きを読む」をクリックしてください。
また、登場人物のセリフなどは記憶に頼っているため正確ではありません)
・・・泣けるか、これ?
状況をわかりやすくするためか、前半はやたらと登場人物が説明口調でしゃべりまくるせいで、会話が不自然。後半でやっとセリフが少なくなってくるんですが、沈黙の使い方が上手くないんですよね。おかげで泣けるエピソードが描かれても、前後のシーンが妙にお間抜けに見えて泣く前に笑えてきてしまいます。たとえば、隊員の坂東(だっけ?)が出撃を前に食堂を訪ねてきて、家族を前に自分の葛藤を打ち明けるシーンがあるんですが、そこで他の登場人物たちがいっせいに泣き出すんですね。観てる側としては置いてきぼりを食ったようになってしまい、せっかく緩みかけた涙腺が一気に収縮します。隊員が語る故郷の蛍とか、盆踊りとかの回想シーンも、シュールな現代アートみたいになっていて(暗闇で父と子がスローモーションでなんか踊ってる映像とか)、死を前にした隊員の葛藤という文脈にそれがはめ込まれると、もはやギャグの領域です。
ところどころにはさまれる「アジアを白人の支配から解放するための戦争」だとか「靖国で会おう」なんてセリフも、変に浮いてるし。もしこういう価値観に共感させたかったんだとしたら、失敗だとしか思えません。逆に「隊員の葛藤」という側面に注目してみても、「日本は負けるよ」とか「何のために死ぬのかわからなくなった」などそれを思わせるセリフはあるのですが、登場人物が多いせいか一人ひとりの心にそれ以上分け入らずに終わってしまっています。彼らに感情移入させたいのならもっと個々の隊員のドラマを描くべきだし、危機的状況を体験していない現代の私たちには安易に同情さえできないような悲惨さを表現したかったのならば、描写があまりにも軽すぎます。
一番どうしようもないのは冒頭。石原慎太郎さんのメッセージが映し出されます。「昔の日本人には、雄々しくも美しい心があった」云々。
あのねえ、本編が始まる前からその映画をどういう視点で観るべきか指図してどうすんのよ。いくら伝えたいことがあるからって、制作者自らこれから描くものをネタバレしちゃダメでしょう。むしろ、伝えたいメッセージは別に言葉を用意せずに作品の中で伝えきるのがプロの仕事ってもんじゃないんですか?
どうしても主張したいならせめてパンフレットに載せるとか、雑誌取材など別の場所ですればいいのに・・・出だしからそれで私は激しくずっこけました。
逆にちょっとよかったと思うのは、川口隊員が林の中で黙ってハーモニカを吹いているシーンと、ラスト近くで生き残った中西隊員が鳥濱の車椅子を押して、靖国神社の参道の桜並木の中を進んでいく映像です。けれど、後者は「そろそろ終わるかな」という観客の期待を裏切ってラストがだらだら続くせいで台無しになっています。全体的に、作品として「間が悪い」と思ってしまいました。
「石原プロパガンダ」なんて言われてますけど、これじゃプロパガンダの役割を果たせているとさえ思えません。戦争を賛美するとかしないとか以前に、技法的に問題アリでしょう。ていうか、何がしたかったんだろう。自己満足?
■ちょっとマジメに気になったところをピックアップ。
・「特攻は志願ですか、それとも命令で行うんですか」と問いかける部下に対して「志願して突撃して死にたい奴などそう集まらないだろう。特攻は志願という名目の命令で、行うのだ」と答える海軍長官。
このシーンがあるために、その後何度「彼らは本当に勇敢だった」とか「お国を守って死んだ」という語りがされても、発話者が強いられた死を糊塗して自分を納得させるための建前にしか聞こえなくなっています。作品世界の中に阻齬を持ち込む役割を果たしていると言えるでしょう。
また、自発的行動という名目で実質的には強制されていたという視点を特攻隊に適用するならば、従軍慰安婦問題や沖縄の集団自決などにも同じように応用すべきはずですね。
・「朝鮮人」でありながら(この「ありながら」って言い方もあんまりよくないのですが)特攻に志願した大島隊員が、鳥濱の元を訪れて「ここに来ると自分が朝鮮人だってことを忘れられた」と語る。
「朝鮮人」という属性を忘れることがポジティブな意味を持って語られています。つまり「朝鮮人」は忘れたほうがいい嫌なものである、と。差別を受けて育ったがゆえに大島個人がそう思うようになってしまった、ということを描きたくて確信犯的にこういう表現をしたのか、それとも単に気づかないでやっているのかどっちでしょう。
・作品のタイトルでは「君のためにこそ死ににいく」となっているのに、公式サイトのイントロダクションは「この国を守る為、懸命に生きた若き特攻隊員たち。」
家族や恋人など、おのおのが守りたかったものとしての「君」と「この国」とが重ね合わせられています。「愛するもののため」と国民を立ち上がらせて、それを国家の利益に回収するシステムが現れてますね。
・ラスト付近、「あの頃(特攻作戦が行われた頃)はどうしてあんなに(特攻で死なねばと)思い込んでいたんでしょうね」とつぶやく中西に。「大事な人を守りたい、と夢中になってしまうのは、いつの時代もおんなじこと」と答える鳥濱。
隊員たちの死が「理不尽」で悲惨であったというほのめかしは全編を通してされているのですが、それじゃあどうして彼らは死なねばならなかったのか、自分はどうして生き残ったことに罪悪感を感じるのか、中西が深く考えようとするのを鳥濱は制止しています。これによって、当時のことを自分の中で理屈づけて痛みを和らげることさえ彼はできなくなる。必然的に「救い」を自分の中に求めることは不可能になるわけで、だからこそその直後、死んだ隊員たちの幻影が目の前に現れる、という外からの救済が必要になったんじゃないかと。
それにしても、理不尽であることは認めながらそれを問い直しちゃいけないってのはなんなんでしょうね。納得いかない状況でもママ(鳥濱は作中で隊員たちから「おかぁちゃん」と呼ばれている)にだけ愚痴って、黙って死んでいくのが美しいってこと?
■上映中、あちこちの席からすすり上げるような声が聞こえてくるし、化粧室ではお姉さん方がぎゅうぎゅう詰めで目の辺りのお化粧を直しています。びっくりして隣の席の雲銀くんを振り返ると、彼は必死で笑いをかみ殺しているんですね。・・・あ、こらえ切れなくて噴き出してやんの。私たちは「耐えろ、笑ったら負けだ!」とジェスチャーで励まし合わなければいけないほどだったのですが、泣く人も大勢いたわけです。私たちにこの作品を勧めたRickyくんも泣けたと言っていましたし。けれど、私の観た限り感情移入できるような作りにはなっていなかった気がします。
私は相当に涙もろいほうで、たとえ登場人物の思いや映画が体現している価値観に全く共感できなくても、「泣かせる」シーンでは問答無用で目をウルウルさせてしまうタイプの人間です。最近では『机のなかみ』のみぃちゃん(主人公の彼女)に同情してボロ泣きしましたし。しかも今回はなるべく作品に入り込もうと、「泣こうと」しながら観ていたんですね。いろいろ考えて批評するのは帰ってからにしよう、と(上で書いたようなことは帰ってから考えました)。が、それでもサッパリ泣けませんでした。じゃあ、泣いた人たちは一体どこで泣いたんでしょう?
もちろん泣けなかった私に本当のところがわかるはずもないんですが、無理を承知で想像するならば、彼ら彼女らは映画のモチーフが「特攻隊」だったということ自体に泣いたんじゃないかとふと思いました。つまり、特攻隊の悲劇、というイメージなり知識なりが既にみんなの頭の中にあったんじゃないかと。特攻隊をどう描くかという以前に特攻隊を描いていること自体がそれぞれの中の「悲劇」のイメージを呼び起こして、想像力で映像をそのイメージで補わせて「泣ける」ものにしたのかなあ、と考えています。私はその場ではなるべく映像だけを見るように努めていたので、泣けなかったのかなあと。
このブログを読んでいる方の中で「泣けた!」という人は、できればどこで泣いたのか教えてくださるとうれしいです。もしかしたら私は大事な感動ポイントを見逃しているのかもしれませんので。
■ところで、石原さんの「雄々しくも美しい」という言葉に端的に表れているように、この作品で言う「昔の日本人の美しさ」とは特攻隊の若い男性の美しさなんですよね。「昔の日本人」を美しいととらえる立場からすれば、奉仕隊として知覧飛行場に派遣され、米軍機の爆撃を受けて死んでいった女生徒たちも「美しい」ものとしてもっと強調していいはずです。それこそ「ひめゆり隊」の女のコたちのように。あるいは、美しい母たる鳥濱トメ、なんてのもアリですね。ところがこの作品ではあくまで鳥濱の目にうつる特攻隊員たちの美しさが中心におかれています。
・・・いや、本当におけているかどうかは激しく疑問なんだけど、少なくとも石原さんと鳥濱(役としてのね)の語りを見る限りではおこうとしたようです。
もちろん個々の作品が何をクローズアップするかは自由なんですが、「戦争」というモチーフを使用した場合男性たちの美しさに比べて女性たちの美しさというのは付属品のようにしか語られない、という傾向があるように思います。まあそもそも、この記事を読めばわかるとおり私はそれらが「美しい」という価値観自体共有していませんが。♪若き兵〜士が〜 愛〜しk(ry
アレだね、「昔」風に「女は女らしく」と頑張ってみたところで「美しい」と褒められるのは男優先ってんじゃ、大和撫子なんてやってられませんわな。ペッ。
オススメ度:★★☆☆☆
かなり辛口に書きましたが、終盤になるまで「早く終われ」とは思わないで済んだので★2つ。
↓深海魚はこれっぽっちも大和撫子じゃないと思うあなたはコチラ


観てきたのは、共通の友人(Rickyくん)に勧められたアノ作品。
雲:「なんだっけ、『俺は、君と一緒に死ににいく』とか言うヤツ!」
・・・んなわきゃね〜。主人公:「愛してる!一緒に死んでくれ!」
ヒロイン:「独りで死ねやボケ」
――― 完 ―――
正しくは、『俺は、君のためにこそ死ににいく』ですな。太平洋戦争末期、追いつめられた日本は若い航空兵に飛行機を与え、米軍の空母に「特攻」という名の突撃をさせました。この映画は、出撃していく特攻隊員たちの葛藤と勇姿を、知覧で食堂を営んで隊員たちに慕われていた「鳥濱トメ」という実在の人物の目から描いています。
(以下、ネタバレを含みます。それでもいい方のみ「続きを読む」をクリックしてください。
また、登場人物のセリフなどは記憶に頼っているため正確ではありません)
【More・・・】
■この作品、「泣ける」と評判で、戦争を美化しているとか、いや悲惨さをこそ描いているんだとか、いろいろ論争を巻き起こしていましたけれども。・・・泣けるか、これ?
状況をわかりやすくするためか、前半はやたらと登場人物が説明口調でしゃべりまくるせいで、会話が不自然。後半でやっとセリフが少なくなってくるんですが、沈黙の使い方が上手くないんですよね。おかげで泣けるエピソードが描かれても、前後のシーンが妙にお間抜けに見えて泣く前に笑えてきてしまいます。たとえば、隊員の坂東(だっけ?)が出撃を前に食堂を訪ねてきて、家族を前に自分の葛藤を打ち明けるシーンがあるんですが、そこで他の登場人物たちがいっせいに泣き出すんですね。観てる側としては置いてきぼりを食ったようになってしまい、せっかく緩みかけた涙腺が一気に収縮します。隊員が語る故郷の蛍とか、盆踊りとかの回想シーンも、シュールな現代アートみたいになっていて(暗闇で父と子がスローモーションでなんか踊ってる映像とか)、死を前にした隊員の葛藤という文脈にそれがはめ込まれると、もはやギャグの領域です。
ところどころにはさまれる「アジアを白人の支配から解放するための戦争」だとか「靖国で会おう」なんてセリフも、変に浮いてるし。もしこういう価値観に共感させたかったんだとしたら、失敗だとしか思えません。逆に「隊員の葛藤」という側面に注目してみても、「日本は負けるよ」とか「何のために死ぬのかわからなくなった」などそれを思わせるセリフはあるのですが、登場人物が多いせいか一人ひとりの心にそれ以上分け入らずに終わってしまっています。彼らに感情移入させたいのならもっと個々の隊員のドラマを描くべきだし、危機的状況を体験していない現代の私たちには安易に同情さえできないような悲惨さを表現したかったのならば、描写があまりにも軽すぎます。
一番どうしようもないのは冒頭。石原慎太郎さんのメッセージが映し出されます。「昔の日本人には、雄々しくも美しい心があった」云々。
・・・ってのはおいとくとしても。♪若き兵士が愛しきものを守るため
殺し合うのが美しいことだと
本当に思うのか
(『世界樹の下で』 from 心臓オーケストラ / THE BACK HORN)
あのねえ、本編が始まる前からその映画をどういう視点で観るべきか指図してどうすんのよ。いくら伝えたいことがあるからって、制作者自らこれから描くものをネタバレしちゃダメでしょう。むしろ、伝えたいメッセージは別に言葉を用意せずに作品の中で伝えきるのがプロの仕事ってもんじゃないんですか?
どうしても主張したいならせめてパンフレットに載せるとか、雑誌取材など別の場所ですればいいのに・・・出だしからそれで私は激しくずっこけました。
逆にちょっとよかったと思うのは、川口隊員が林の中で黙ってハーモニカを吹いているシーンと、ラスト近くで生き残った中西隊員が鳥濱の車椅子を押して、靖国神社の参道の桜並木の中を進んでいく映像です。けれど、後者は「そろそろ終わるかな」という観客の期待を裏切ってラストがだらだら続くせいで台無しになっています。全体的に、作品として「間が悪い」と思ってしまいました。
「石原プロパガンダ」なんて言われてますけど、これじゃプロパガンダの役割を果たせているとさえ思えません。戦争を賛美するとかしないとか以前に、技法的に問題アリでしょう。ていうか、何がしたかったんだろう。自己満足?
■ちょっとマジメに気になったところをピックアップ。
・「特攻は志願ですか、それとも命令で行うんですか」と問いかける部下に対して「志願して突撃して死にたい奴などそう集まらないだろう。特攻は志願という名目の命令で、行うのだ」と答える海軍長官。
このシーンがあるために、その後何度「彼らは本当に勇敢だった」とか「お国を守って死んだ」という語りがされても、発話者が強いられた死を糊塗して自分を納得させるための建前にしか聞こえなくなっています。作品世界の中に阻齬を持ち込む役割を果たしていると言えるでしょう。
また、自発的行動という名目で実質的には強制されていたという視点を特攻隊に適用するならば、従軍慰安婦問題や沖縄の集団自決などにも同じように応用すべきはずですね。
・「朝鮮人」でありながら(この「ありながら」って言い方もあんまりよくないのですが)特攻に志願した大島隊員が、鳥濱の元を訪れて「ここに来ると自分が朝鮮人だってことを忘れられた」と語る。
「朝鮮人」という属性を忘れることがポジティブな意味を持って語られています。つまり「朝鮮人」は忘れたほうがいい嫌なものである、と。差別を受けて育ったがゆえに大島個人がそう思うようになってしまった、ということを描きたくて確信犯的にこういう表現をしたのか、それとも単に気づかないでやっているのかどっちでしょう。
・作品のタイトルでは「君のためにこそ死ににいく」となっているのに、公式サイトのイントロダクションは「この国を守る為、懸命に生きた若き特攻隊員たち。」
家族や恋人など、おのおのが守りたかったものとしての「君」と「この国」とが重ね合わせられています。「愛するもののため」と国民を立ち上がらせて、それを国家の利益に回収するシステムが現れてますね。
・ラスト付近、「あの頃(特攻作戦が行われた頃)はどうしてあんなに(特攻で死なねばと)思い込んでいたんでしょうね」とつぶやく中西に。「大事な人を守りたい、と夢中になってしまうのは、いつの時代もおんなじこと」と答える鳥濱。
隊員たちの死が「理不尽」で悲惨であったというほのめかしは全編を通してされているのですが、それじゃあどうして彼らは死なねばならなかったのか、自分はどうして生き残ったことに罪悪感を感じるのか、中西が深く考えようとするのを鳥濱は制止しています。これによって、当時のことを自分の中で理屈づけて痛みを和らげることさえ彼はできなくなる。必然的に「救い」を自分の中に求めることは不可能になるわけで、だからこそその直後、死んだ隊員たちの幻影が目の前に現れる、という外からの救済が必要になったんじゃないかと。
それにしても、理不尽であることは認めながらそれを問い直しちゃいけないってのはなんなんでしょうね。納得いかない状況でもママ(鳥濱は作中で隊員たちから「おかぁちゃん」と呼ばれている)にだけ愚痴って、黙って死んでいくのが美しいってこと?
■上映中、あちこちの席からすすり上げるような声が聞こえてくるし、化粧室ではお姉さん方がぎゅうぎゅう詰めで目の辺りのお化粧を直しています。びっくりして隣の席の雲銀くんを振り返ると、彼は必死で笑いをかみ殺しているんですね。・・・あ、こらえ切れなくて噴き出してやんの。私たちは「耐えろ、笑ったら負けだ!」とジェスチャーで励まし合わなければいけないほどだったのですが、泣く人も大勢いたわけです。私たちにこの作品を勧めたRickyくんも泣けたと言っていましたし。けれど、私の観た限り感情移入できるような作りにはなっていなかった気がします。
私は相当に涙もろいほうで、たとえ登場人物の思いや映画が体現している価値観に全く共感できなくても、「泣かせる」シーンでは問答無用で目をウルウルさせてしまうタイプの人間です。最近では『机のなかみ』のみぃちゃん(主人公の彼女)に同情してボロ泣きしましたし。しかも今回はなるべく作品に入り込もうと、「泣こうと」しながら観ていたんですね。いろいろ考えて批評するのは帰ってからにしよう、と(上で書いたようなことは帰ってから考えました)。が、それでもサッパリ泣けませんでした。じゃあ、泣いた人たちは一体どこで泣いたんでしょう?
もちろん泣けなかった私に本当のところがわかるはずもないんですが、無理を承知で想像するならば、彼ら彼女らは映画のモチーフが「特攻隊」だったということ自体に泣いたんじゃないかとふと思いました。つまり、特攻隊の悲劇、というイメージなり知識なりが既にみんなの頭の中にあったんじゃないかと。特攻隊をどう描くかという以前に特攻隊を描いていること自体がそれぞれの中の「悲劇」のイメージを呼び起こして、想像力で映像をそのイメージで補わせて「泣ける」ものにしたのかなあ、と考えています。私はその場ではなるべく映像だけを見るように努めていたので、泣けなかったのかなあと。
このブログを読んでいる方の中で「泣けた!」という人は、できればどこで泣いたのか教えてくださるとうれしいです。もしかしたら私は大事な感動ポイントを見逃しているのかもしれませんので。
■ところで、石原さんの「雄々しくも美しい」という言葉に端的に表れているように、この作品で言う「昔の日本人の美しさ」とは特攻隊の若い男性の美しさなんですよね。「昔の日本人」を美しいととらえる立場からすれば、奉仕隊として知覧飛行場に派遣され、米軍機の爆撃を受けて死んでいった女生徒たちも「美しい」ものとしてもっと強調していいはずです。それこそ「ひめゆり隊」の女のコたちのように。あるいは、美しい母たる鳥濱トメ、なんてのもアリですね。ところがこの作品ではあくまで鳥濱の目にうつる特攻隊員たちの美しさが中心におかれています。
・・・いや、本当におけているかどうかは激しく疑問なんだけど、少なくとも石原さんと鳥濱(役としてのね)の語りを見る限りではおこうとしたようです。
もちろん個々の作品が何をクローズアップするかは自由なんですが、「戦争」というモチーフを使用した場合男性たちの美しさに比べて女性たちの美しさというのは付属品のようにしか語られない、という傾向があるように思います。まあそもそも、この記事を読めばわかるとおり私はそれらが「美しい」という価値観自体共有していませんが。♪若き兵〜士が〜 愛〜しk(ry
アレだね、「昔」風に「女は女らしく」と頑張ってみたところで「美しい」と褒められるのは男優先ってんじゃ、大和撫子なんてやってられませんわな。ペッ。
オススメ度:★★☆☆☆
かなり辛口に書きましたが、終盤になるまで「早く終われ」とは思わないで済んだので★2つ。
↓深海魚はこれっぽっちも大和撫子じゃないと思うあなたはコチラ


雲銀 |
2007.06.21(木) 01:17 | URL |
【編集】
それと全く同じ笑顔で映画観てたんだろ、と見破られたからですよ。きっと(笑)
でも大丈夫、この作品に限っては、感情移入できないのは脚本が悪い!
・・・役者さんたちの中にはいいキャラ出してる人もいたし、登場人物たちの語りの間にも緊張関係があって、それなりに面白い要素も含んでるのになんで仕上がりがアレなんでしょう。ホントもったいない。
常識人なんていないんです。NASAの陰謀なんです(違)
でも大丈夫、この作品に限っては、感情移入できないのは脚本が悪い!
・・・役者さんたちの中にはいいキャラ出してる人もいたし、登場人物たちの語りの間にも緊張関係があって、それなりに面白い要素も含んでるのになんで仕上がりがアレなんでしょう。ホントもったいない。
常識人なんていないんです。NASAの陰謀なんです(違)
深海魚 |
2007.06.23(土) 02:52 | URL |
【編集】
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なぜか白い目で見られた雲銀です。
ち〜す
ナンダロウネ、どうにも
映画とか映像、写真とかに感情移入ってのが
俺はできないみたいだ(泣)
悔い改めて常識人を目指し、それができないなら
死ぬるとしますwww
. . .ほとんど死刑確定か?