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2006年12月03日(日)

働いたら負けかなと思っている 

■某所で試験監督のバイトをしてきた深海魚です。こんばんわ。
・・・といっても、申し訳程度に設営を手伝ったほかはボーっと座ってただけなんですがね。たまに小さい用事が入って「さあ、働くぞ」と立ち上がろうとすると「君は座ってていいよ」と押しとどめられてしまったり。私にやらせると仕事が増えるであろうことを本能的に察したものと思われます。実に賢明だ!
そんなわけで、半日座ってればご飯とお金がもらえることを学習してしまいました。こういう仕事ばっかりやっていたらまともに働く気がなくなるのも納得。試験監督やりすぎるとニートになるんじゃないの?(冗談ですからね、念のため)

解散して帰ろうとしたらどこかの塾の模擬試験とぶつかってしまったらしく、母親連れの小学生の大群が駅へと押し寄せていてとても中に入れる状態ではありませんでした。ウン年前の中学受験生であった深海魚としては、ウザったくも懐かしい光景です。ちなみに、ウザい:懐かしいの比率は99:1くらい。
もっとも、私は夢に向かって一直線!なまっすぐな目をした児童などではありませんでしたので
私:「模試まで時間あるしどっかでお茶してかない?」

(しばらくお待ちください)

友:「ていうか、もうはじまってるんじゃね?」
私:「ヤバイ、会場の場所わかんない」
友:「人についてきゃいいと思って、地図持ってきてないしね」
と、当時からダメ人間まっしぐらでしたが。受験前日?前祝いしてましたけど何か?

子どもたちの集団をやり過ごすためにカフェでお茶を飲んでいたら、暗くなってしまって今度は道がわからなくて帰れなくなったのはお約束です。むやみに歩き回っていたら会場の前まで戻ってましたよ。

【More・・・】

■先日「いじめ自殺」を語れもしないのに語ったので、ついでに「自殺」全般を少しだけ考えてみる。

私は極力、誰かが自由に選択したことは尊重したいのです。その一方で、その選択が「自由」に見えて実は「選択の余地なし」に追い込まれたものだったのに、「自由の結果だから」と当人が責任を取らされることはなるべく避けるべきだ、と思っています。
一応でも選択の体裁をとっているものを「実は選ばされたんじゃないか」と疑うことは容易に「選ばされたに違いない」と相手の主体性を否定する暴力的な物言いに繋がってしまうので、どこかで踏みとどまらなければならないのですが。

で、これを「自殺」ということに当てはめてみると。
身体の苦痛だとか、精神的な病だとか、ストレスだとか、経済の困窮などで「この状況より死んだ方がマシ」と考えて死を望むのは、耐えられない「この状況」に追い込まれての死だと言えます。「この状況」がなければ死を選ばされることがないのですから、私なら全力でそれを取り除きたいと思います。むしろ、それが「これは、死にたくもなるだろう」と思えるような状況であればあるほど、それさえなくなればその人は死なないで済む(済んだ)わけですから、余計に納得できません。
けれど、できる限り辛い状況を取り除いたにもかかわらず、それでも死にたいと言われたら?理由はないけど「なんとなく」死にたいのだったら?あるいは、自分にとっては死ぬのがいいことだから死にたい、なんて理由だった場合はどうでしょう。もちろん私は「死なないでくれ!」と「私はあなたと一緒にいたいんだ!」と叫ぶでしょうが、それでも思いとどまらなかったのなら、泣きながら「さようなら」と手を振るほかない気がしてなりません。
自分の体は自分のものだから命まで含めて自分の好きなようにしていい、と単純に考えているわけではありません。しかし、ある身体を通して生きている本人の意志を差し置いて、他の誰かがその身体を自分の思うように左右する(例えそれが『生きろ!』という命令であっても)のは暴力です。だから、私は死を選ぶ「原因」を叩くことはできても死を選ぶ意思そのものに対しては何も言えないのです。

けれどこれって、理由のある誰もが納得して同情するような自殺は許容できないのに、理由のない「意味不明」な自殺は肯定する、という不思議なことになります。このネジレは、どこからきているんだろう。

■ただいま
嗤う日本の「ナショナリズム」 嗤う日本の「ナショナリズム」
北田 暁大 (2005/02)
日本放送出版協会

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と悪戦苦闘しています。国家の品格 / 藤原 正彦国家と犠牲 / 高橋 哲哉を読んだのと同じ授業で題材に取り扱うので、明日までにどうにか料理しなければなりません。

いやもうホント、読むのがしんどい。浅田彰の広告批評を「解説」した一節があるのですが
ごく簡単にいえば、(ア)イロニーとは、メタ/ベタ(紋切型)という区別を前提にしたまま、メタを指向し続けるパラノイア的な行動原理、ユーモアとは、メタ/ベタという区別=前提そのものをやりすごす実践ということができるかもしれない。
(P.148)
どこが「ごく簡単」じゃ、ボケ。
逆にいえば、この本はこうした物言いを「ごく簡単」ととらえる人間のために書かれているので、深海魚のような脳ミソ軽量型魚類が読むのはそもそも想定の範囲外なんですね(笑)

しかし、私を含めて社会学の素養をほとんど、ないし全くもたない子ばかりの場所に「これを次回までに読んで語れるようにしておいで」と放り込むとは、先生もなかなかオニであります。
もっとも私は北田さんのお名前にピンときて、発表担当者になることを断固回避したのでいざとなったら「わかりませんでした、てへ★」と投げ出しても何の問題もないんですけどね(教授すいません、いい加減なヤツで・・・)
おそらく「ナショナリズム」という言葉に惹かれて担当者になった子たちに、合掌。

こうしてみると、世界と僕たちの、未来のために―森達也対談集 / 森 達也での北田さんの章が、すらすら読めるほど易しく書かれていたことに改めて驚きを覚えます。森さんという「わかりやすく」ものを言う人と、その人の読者に向けていることを認識していたのでしょうか。

■今日のひとこと中国語
幽霊→「(グイ)」
鬼には日本的な「鬼」だけじゃなくて、死者の魂という意味もあるんですよね。

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テーマ : アルバイト - ジャンル : 就職・お仕事

タグ : アルバイト 試験監督 御バカ日記 自殺 嗤う日本の「ナショナリズム」 北田暁大

【編集】 |  23:43 |  日常  | TB(0)  | CM(0) | Top↑

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