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2006年08月07日(月)

リンダリンダもしくは考えさせられる客体の私 

■バイトでこの間の製本工場に派遣されてきました。
自分が社会の中で一部品にすぎず人間的なものを求められていないんじゃないかいうことを「社会の歯車」といいますが、歯車ならまだなくなったら困るだけマシだと思います。私のしてることなんてせいぜいハムスターの踏み車並の重要度ですから。所詮げっ歯類に過ぎないなら、ドブネズミのように美しくなりたい。写真には写らない美しさがあるはずです。きっとどこか、バカや心の醜い人には見えない場所に。だから私にも見えないけど、ないわけじゃないんだからね!

■ライン作業は退屈なので、例によっていろいろぐだぐだと考えてみる。
深海魚は過去の日記で何度か、自分はナショナル・アイデンティティがあいまいだとか「愛国心」という概念そのものに懐疑的だといった内容のことを書いてきました。たとえこの「愛国心」が自分の国・社会をよりよくしようという考え全般のことを指すとしても、それでもまだ無批判に受け入れることは出来ません。
いったいどうして私がそう考えるようになったのか、もしくはそう考えざるを得なくなったのか、ちょっと自分を振り返ってみようと思います。

【More・・・】

私にはルーツを持つ国が2つある、とはこれまでにも書きました。その片方が日本であるのはいうまでもありませんが、もう片方が中国であることも今までの私の発言を見れば想像に難くないと思います。実際、向こうに親戚も住んでいるし日本に比べればすごした時間は短いとはいえ、それなりの付き合いは今でもあります。
そんな生育暦を持っていると、しょっちゅう投げかけられる困った質問があります。

「日本と中国、どっちが好きなの?」
「自分ではどっちの国の人だと思ってるの?」


例えば、終戦記念日。例えば、オリンピック。もしくはワールドカップ。もちろん聞いてくる人間に私を追い詰めてやろうなんて気はないんだろうけれど、そういった機会が来るたび「立場をはっきりさせろ」と言外の圧力をかけられます。
私の中で二つの国の持つ要素は連続して私を構成しているのであって、国境線なんて繋がっているものの上に誰かが勝手に引きやがった迷惑な線としか思ってないのですが(あ、少なくとも現在「国家」というものが必要なことは理解してます。私の中に「この部分は日本人」「この部分は中国人」なんて線引きはないからよりどっちに近いとかどっちが多いとかそんな判断は出来ないって意味ね)。「住環境は日本のほうがいい」とか「中国のフリーマーケットは楽しいよね」とか個別な事象での好き・嫌いはあるけれど、日本と中国を国単位で「どちらが好き」と二者択一しようなんて考えたこともないし、考えられません。

私みたいな人間にとって「どっちの国が好き」と聞かれることがどうして嫌なのか、私はよく子どもに「お父さんとお母さんどっちが好き」と答えを迫ることを例に挙げて説明します。要は、上で書いたようにどっちが上なんて比較するものではないから答えようがないんですね。
「お父さんとお母さん」だったら「どっちも」という答えがありえます。むしろそれが正解かもしれない。けれど、比較対象が「国」に変わったとたん「両方」は許されなくなります。理由がまた笑えるんだけど、「唯一無二の『自分の国』を持たない人間はアイデンティティが揺らぐから」ですって。当事者でないあなたになぜわかる?目の前に当事者である私がいるけれど、なぜ私に「君のアイデンティティは不安定か」と訊きもしないで、決め付ける?
結論から言ってしまえば、少なくとも私は自分の出自のせいで不安を抱いたり、自分が何者か分からなくなったりなんてしていません。アイデンティティは「国」に求めるものだというのがそもそもおかしいし、百歩譲って「国」に求めたとして、「私は○○人だ」というスタンダードなあり方と同じように、「私は○○人でもあり▲▲人でもある」「私はどこの国にも完全に属してはいない」というのもアイデンティティたりえます。むしろ、後者のほうがよりレアな分、自分の固有性みたいなものを見つけやすいよ。
それでは私は「国」を理由にアイデンティティが揺るがされたことはないのかというと、実はあります。ああ、「そら見たことか」という顔をする前に続く文章をちゃんと読んでくださいね。私自身は「日本と中国にルーツがある」という自分の属性を不安に思ったりはしないのです。ではどうして揺るがされたかというと、「祖国が二つあるなんておかしい、一つしか持てないはずだ」とごくごく幼い頃から何度も何度も何度も何d(略)繰り返されたおかげで「え、あたしって変なの?どっちも自分の国って思うのはいけないことなの?」と、自分の認識を否定されてショックを受けたからなんですね。つまり、向こうは私に良かれと思って言っている(もしくはよくわからずに無邪気に言っている)ことが逆に私に存在不安をもたらしていたと。あいつら全員、死ねば良いのにと思います。

ところで、こういう「どちらが好き?」と聞いてくるような人たちは、質問者が日本人であるなら「日本」、中国人であるなら「中国」と答えればたいてい満足します。だから、そうやって期待にこたえて流せばよかったのかもしれない。けれど、昔から自分に嘘をつくことは苦手な子どもでした。「両方」という答えを示すために日本人に対しては中国を、中国人に対しては日本を敢えて擁護してみたり、どうして選ぶことが出来ないのかを納得してもらえるように一生懸命理論武装してみたり、難しい場面に立たされるたびにそうやってしのいでいました。
こうやって強制的に周囲から物を考えさせられたおかげで思考する習慣はつきましたので一概に悪かったとも言いませんが。しかし同時に、理屈っぽくて自意識過剰な邪気たっぷりの子どもにもなってしまいました。私の純真さを返せ。

冒頭の愛国心の話に戻りますと、今まで見てきたように私は「自分の国」を実体のある当然のものとして捉えることができません。だって、例えば「国内」って言ったって「どっちの?」と周りからツッコまれてしまう立場なのだから。
今、日本では俄然愛国心というテーマが盛り上がりを見せていて、教育基本法に入れちゃおうとか憲法に書いてやろうとかすごいことになっている。大体そういうことを言う人は、愛国心を外国から国を守ろうとする心だとか皇室への敬慕だとか政府への従順さだとかそんなイメージで捉えているようです。それに対して、「従うだけが愛国者じゃない、政治に関心をもち自分の国・社会がより良いものになるように活動すること自体が愛国心の表れだ」という反論が行われます。今それらの法の改定(改「正」とは口が裂けても言いたくない)を阻止しようと走り回っている人たちも、環境活動家も、平和運動をする人も、女性運動家もみんなそのほうがより良い社会がもたらされると信じて動いているんだから愛国者だ、と。
そりゃもちろん彼らが「反日」などであるわけはないし尊敬もしていますが、彼らの行いを「愛国」と規定するには国=日本国=社会でなければいけない。実際は、国ではないもっと違う単位、例えば地域社会や市町村、都道府県、もしくはアジア、世界・・・のために活動していることだってあるでしょう。これらを全て「愛国」でくくってしまうのは地域を国家の小型版、世界を国家の延長としか捉えていないようで視野が狭い。それらには、国とは違う存在価値があるはずです。また、例えば私のような人間にとってはいったいどの国のために動けば愛国していることになるのか、定かじゃあない。個人的に政治への関心は高いほうだと思いますが、それを「愛国心があるね」なんて褒められても「そうかしら?」としか言いようがありません。
おそらくこの「愛国心」は「反日」だとか「非国民」だとかそういった類の愚かしい言いがかりを封じるために持ち出されたんだろうけど(そういうこと言う人なら当然「国」が無条件の前提になってるだろうしね)、それがわかっていてもどうしても疑問を感じてしまう私がいます。

■追記(オマケ・ひとこと中国語のかわり)
今年は、ちょうど8月15日にかかる時期に中国在住の親戚や中国人の友人知人に会いに訪中することになっています。彼らには会いたいけれど、活気溢れる朝市で朝食を買いたいけれど、露店のフローズンドリンクをまたみんなですすったりしたいんだけれど、時期が時期なので、きっとまたいろいろ吹っかけられるんだろうなあと思うと気が重いのです。
なんとなく今年は南京事件あたりが来そうなので、ちょっと予習しておかなければ。

・南京事件資料集
・南京事件 小さな資料集
・クッキーと紅茶と


あたりを参考にさせていただいております。大変勉強になるんですが、本当なら自分で書籍に当たったほうがいいのよね。恥ずかしながら深海魚は南京事件関連の書物については南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて―元兵士102人の証言 / 松岡 環南京事件「証拠写真」を検証する / 小林 進、福永 慎次郎 他をパラパラと流し読んだことしかないんですよね。内容ははっきりとは覚えていないのだけれど、どちらもすぐに棚に戻した記憶があります。
予備知識がほとんどゼロに近い人間が読むなら、南京事件―「虐殺」の構造 / 秦 郁彦南京事件 / 笠原 十九司あたりから始めるべきでしょうか。この2人が日本の歴史学者のうち、犠牲者数の見積もりが最小(秦さんの4万人説)と最大(笠原さんの20万人説)の説をとなえているそうなので。この犠牲者数の落差は実際の殺害の規模の違いでなく、一連の死者のうちどこまでを「南京での日本軍による不法な殺害」と認定するかによって起こるらしいです。
白状してしまいますと、独学でちょっと調べるようになる前は「南京事件?あったとしても、多分犠牲者は1、2万とかそのくらいじゃん?(←この数字に根拠なし。ていうか、1、2万でも十分に問題だと思う)悲惨な事件かもしれないけど、『大虐殺』として特に取り上げるほどじゃ・・・」とかそんなこと考えてました。ああもう、今でもバカだけど今の自分から見てもどうしようもないほどバカだ。南京特別市は南京城内、城外、郷区からなっていてよく言われる「南京の人口が20万人」というのは城内に設置された安全区の人口であるとか、虐殺の多くは城外で行われたとか、そういう初歩的だけど重要な知識がないと安易な否定論にコロッと引っ張られちゃうんですね。

楽しむための旅行で、望みもしないのに議論を求められる(しかも、お前は自分たちの味方になれと暗に要求される)のは嫌なんですが、これを機会に知識をつけて自分のリテラシーをちょっとでも高めておくのも悪くないと思いました。

↓長かったー、と目をこするあなたはコチラ。私も疲れた・・・
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テーマ : 愛国心 - ジャンル : 政治・経済

タグ : 愛国心 ナショナル・アイデンティティ 南京事件

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Comment

●No Subject
なが~い(汗)
その質問俺もしたことあるわ--;
相変わらずの博識に敬服するわ!日本語での弁論が無敵な深海魚でも中国語では難しいから気をつけてね~
Ganan |  2006.08.08(火) 18:30 | URL |  【編集】
●今回の長文は
「個人的なことは政治的である」とかつぶやきつつ気合入れて書きましたからねー。いや、どっちかって言うと今までの恨みつらみを入れたといったほうが正しいかも?

「選べない」という答えを許してくれるのなら聞いてもかまいません。私に対しては。
ただ、特にハーフ(ダブルといったほうがいいのかもしれないけど)や2世以降の在日外国人の子らにとってはアイデンティティにかかわる本当に深刻な問題になりかねないです。彼らがみんな私のように語りたがりなわけではありませんから、少なくとも相手が嫌そうな顔をしたらやめてあげてほしいなーと。
ちなみに深海魚が今まで生きてきて受けたその手の発言の中で一番腹が立ったのは「深海魚ちゃんってまだ中国人っぽいよね」「いや、もう普通の日本人でしょ」というものでした。中国人は日本人の不完全形か何かなのかと。「日本人」と「中国人」を入れ替えても同じようにムカつきますけどね。発言したのは父の友人たちでしたが、もう少し親しい間柄だったら殴りかかってました。

私の知識はみんな他人様の受け売りです。自分で何一つ労力を使ってません;
日本語の議論もちっとも得意じゃないですよ。目で見ることのできない口頭のやりとりは何が焦点なのかサッパリわからなくなって脱線してしまうので苦手です。筆談したいくらい(笑)
深海魚 |  2006.08.11(金) 03:30 | URL |  【編集】
●No Subject
ご忠告ありがとう(^_^;)俺は人権サークルに6年間入っていたせいで愛国心に関しては深海魚と近い心境だよ!知識というのは全部他人譲りであって、それを統合して自分の意見にするものだからと思うよ。深海魚の見た目に似合わず勤勉なところは本当に見直した(笑)中国楽しんできてね~♪
Ganan |  2006.08.12(土) 01:11 | URL |  【編集】

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