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2006年05月05日(金)

小娘、懲りずに体罰を語る (別題:私怨ですが何か?) 

■さて、前回は俗流若者論批判っぽい立場から安易に体罰とか言うのはどうよ?と問題提起してみた(というか、喧嘩売った)わけですが、深海魚にはもっと個人的に「体罰」を語りたくなる理由があります。
割とプライベートな話になってしまうので、正直面白くないかも。というか、読んだ後もしかしたら不快になるかもしれない。まあでも、私がこれだけ「必死」になってしまう理由みたいなのはなんとなくわかっていただけるんじゃないかと思います。

※前回は「教育の場での体罰」を念頭においていましたが、今回は「家庭内での体罰」が主になってます。

【More・・・】

■大げさに書きましたが、何のことはない。私がよく殴られる子供だったってことです。主に親にね。
挨拶代わりに私が「痛い」と叫ぶくらいの強さで小突いてくださったりはするし、夜更かしをしたとか長電話をしたとかの理由で全身傷だらけにされた事だってある。現にこれを書いている今だって、右腕に卵大の青あざがくっきり浮いています。
・・・ここまで読んで「児相に通報しなきゃ?!」とか慌ててるそこのアナタ。うちは「喧嘩するほど仲が良い」を地で行ってるだけなのでそういう必要はないです。ご心配なく。

というわけで、今回は日常的に体罰を受けて育った人間の一人として発言させていただきます。
最初に言ってしまうと、私は「何があっても子どもに手を上げてはいけない」なんて決め付けるつもりはありません。少なくとも「どうしても許せなくて(または激昂してしまって)子どもを少し叩いてしまった」と悩む保護者を責めたりはしたくない。
ここで大事なのは「叩いてしまった」の「しまった」の部分ではないかと個人的には考えています。つまり、本当は叩きたくなかった、他の方法を取りたかったという「後ろめたさ」のようなものが必要なんじゃないかと。

精神論になってしまって恐縮ですが、そういう「後ろめたさ」は体罰を与える側にとって、自分の振るった暴力は正当だったのか、やりすぎではなかったのか常に問い直す動機になるのではないでしょうか。つまり、過剰な暴力への歯止めとなります。
受ける側にとっても、「相手は本当は自分を殴りたくないのだ」と感じられるのは大切なことです。これがあるからこそ、「もともとは自分が○○をしたせいだな」とか「ひどいことを言って怒らせてしまったんだな」とわかって、じゃあもうしないようにしようとなる。それで丸く収まるわけです。例えば我が家なんかも、そうやって均衡を保っているのね。
体罰っていうのは特定の行為をさせたりやめさせるために身体に苦痛を与えることですから、受ける側が「どうせコイツは私が何をしても殴るんだ」「好きで殴っているんだ」と思ってしまった時点で効果をなくすものです。そこから先は、ただの家庭内暴力になってしまう。

ところが戸塚さんのような「体罰は正しい」系の言い方って、この均衡を崩してしまうのではないかと私には恐ろしく感じられるんですね。
暴力への後ろめたさが「正しいんだ」という正当化によって消えてしまえば、そこには歯止めがなくなります。そうすれば、必要のない暴力が「これは正しい」と思い込まれて振るわれるのではないか。当然受ける人間が正当性を感じられないような体罰は効果を持ちませんけれど、それを自分のやっていることが間違っているからでなく足りないからだとしてさらに暴力を振るうなんてことにならないんでしょうか。現に戸塚ヨットスクールの事件って、そういう仕組みで起こったんじゃない?
・・・他人事じゃないのよ、要は「私がもっと殴られたらどうしよう」ってところから出発してるわけですよ。あえて断言してしまうけれど、もしもうちの両親が「基本的に暴力はよくない」と思っててくれなかったら私は絶対「小突かれてアザが出来ちゃいました」レベルじゃすまなかったですから。思ってんのにこんだけ殴られてるのも珍しいけどさ。まあ私が喧嘩っ早くて口が悪すぎるっていうのが大きいんですがね。

■それから、これはやや蛇足になってしまうのだけれど、不登校してみたりとか、問題行動をしてみたりとかいうのは私にとっては通ってきた道です。もうずっと前の話だけれどね。
その当時を思い出してみても、戸塚式の「訓練と体罰」で私の問題が改善しただろうとはとても思えない。むしろ余計悪くなるって。だから元当事者の目で見ても、どうもあのやり方には賛同できないんですよ。第一彼はヨットで不登校どころかがんまで治すとかトンデモをおっしゃっちゃう人だし。
(参考:戸塚ヨットスクールを支援する会会報 ういんど第4号

■前後編ともまとめてみる
・教育の場での体罰はとてもコントロールできると思えないから反対
・そもそも若者は堕落なんてしてない
・家庭内の体罰は、程度によるけど全否定はしない
・でもそれを正当化するのはダメ


興奮しすぎて何が言いたいのか支離滅裂になっちゃってますけど、議論の叩き台にでもしていただければ幸いです。むしろ浅薄な意見としてボコボコに叩いて欲しいくらいだ(マゾ)

↓むしろ私本体を叩きたいあなたはコチラ。い・・・痛くしないでね?
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テーマ : 教育問題 - ジャンル : ニュース

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Comment

俺の書いたやつは結構浅はかすぎたな…。

確かに、体罰は程度によって、全否定はしないとしても、正当化はダメだね。

俺もそのつもりで書いたけど、そっちのほうが上手く書けてるね。 俺もそうやって書けばよかったな。

戸塚さんの「体罰は教育」って言葉にちょっと動かされちゃったけど、結局はやっぱり暴力行為になりかてるものね。
でも、戸塚さんの一声で、多少なりとも日本の教育がより良いものになればいいなと望む。
せっかく先進国の中でも、トップクラスレベルの教育を日本の子供は受けてるんだから(と俺は思う)。

ってか、あざ大丈夫なん?(苦笑
ricky |  2006.05.07(日) 03:01 | URL |  【編集】
ごめんね喧嘩売るような書き方になっちゃって;
私も日本で暮らして教育を受けている身だから日本の教育がよりよいものになってほしいというのは同意なんだけど、戸塚さんや石原都知事(+都教委)のやり方はより悪くしているようにしか見えなくて・・・残念ながらそれを止める力も権利もないけどね。

あざはまあ1週間位すれば消えるんじゃないかなーと。半そでシーズンじゃなくて良かったよ(苦笑
深海魚 |  2006.05.07(日) 20:35 | URL |  【編集】
はじめまして
rickyの友達の雲銀ですよろしく♪
前に、Mixiでこの話題のときにちらりと現れた気が. . .
えっと. . .いきなり書いちゃうと
現代の日本人は前に比べるとメンタル面が弱くなっている気がします。
これを「堕落」あるいは「軟弱」と思う人もいると思いますが
俺はそうじゃなくって単にそれが今の日本の形じゃないかなぁ
っとか思ってます。
だからそんな今の人に前の時代の行っていた所謂「体罰」ってものは
当てはまらないと思うんです。
今の子供って「体罰」のない世界を生きてきたとおもうんですよ。
そんな子共達に今「体罰」を行っても俺らが求めるような
影響はおきないと思うんです。
なんだかこの前の反復みたいなで申し訳ないですが、
グダグダいってたことを要約するとほとんど
深海魚さんと同じです。
ただ強いて言うなら俺は
体罰を限りなく全否定するってとこが違いますね♪
偽善だと思われようとやっぱり子を正すのに暴力はいけないと思います。
人間口あるし、口じゃなくっても意思疎通できます。
それらを可能な限り駆使して相手を叱ってそれでも
駄目だったら仕方ないかもしれないけど
そうでないなら決して手をあげるべきじゃないです。
子供のころに殴られた記憶は大人になっても残るものです。
俺も未だに子供のころの親に殴られまくった記憶が残ってますしね♪
そうした記憶の積み重ねが将来的に日常生活が
困難になるような障害へと発展することだって誇張なしにありえます。
そのとき親のなかにはその子に自分が火種なのに
障害の責任を負わせるものもいると思うんです。
そういうのって結構理不尽じゃないですか?
「体罰」って結構軽く世で議論されていますが
親の一回の「体罰」が子の何十年の傷を負わすと考えたら
決して軽く考えていいネタではありません。
これだけは言うと俺は
体罰をくだす側がそれだけのことを考えた末に行ったのなら
否定しません(笑)
やはりしなきゃいけないときはあると思いますからね♪
っとなんか久々に熱く語ってしまった. . .
ハズッ(/□≦、)
雲銀 |  2006.05.08(月) 01:29 | URL |  【編集】
>雲銀サマ
はじめまして。熱く語ってくれる人は大歓迎です(笑)

社会の変化とともに人の心って言うのも変わってきているとは思うんですけれど、それって本当に「弱く」なってるのかどうかはちょっと疑問です。それがいいとか悪いとかじゃないっていうのは一緒ですが。
現代社会での体罰の効果は私も気になります。だれか教育学とかやってる人の意見とか聞きたいです。

ちょっと言葉足らずだったんですが、私はたとえ家庭内の体罰であっても、それが冷静だったかは関係なく、トラウマなどの問題が起こるならすぐにやめるべきだと思っています。
ただ、家庭って言うのは外からじゃわからないところがあって、他人から見るとおかしくても本人たちは幸せだったりその逆もありえるので、一概に「殴ったからお前はダメだ」みたいな言い方はできないなーと。もちろん子どもの心身に傷を残すようなのは論外ですよ~

小さいころに殴られた記憶が将来生活上の困難を引き起こす可能性っていうのも忘れちゃいけないですね。しかも、そうなる条件は人それぞれなので本人が深刻でも「そのくらいで傷つくお前が悪い」と片付けられてしまうこともあって、困ったもんだと思ってます。
・・・ていうか、他人事じゃないです(汗)
深海魚 |  2006.05.09(火) 22:48 | URL |  【編集】

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