2005年05月26日(木)
なきむしの戯言
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最近夜に泣いている事が多いので、朝起きると目が腫れて顔が変わってます。これ以上ブサイクになったら飛び降りるしかないのにマジで。基本は泣き虫で笑い虫で、とまらなくなっちゃう人なので泣かないようにしようとしてもなかなか上手くいかず。せめて気が違ったようにわめき散らすのは夕ご飯より前にしようとは思ってるんですけどね。
今現在の「嫌いなこと」とか「怖いこと」とかが会話とか読んでる分の中に何の脈絡もなくでてきただけで、もう涙がぼろぼろと。たとえば「学校」が嫌いなときは、
友:「昨日の『学校に行こう』、見たー?」
この時点ですでに泣きそうになります。泣き虫にもほどがあるだろうと(あくまでたとえなので、本当に「学校」と言われても泣きません)。
さすがに常時こういう性格なわけではないので、今は多分追い詰められてるんだろうと思います。実際いろいろしんどいし。だけど、つらいのは私だけじゃないのに、どうかなりかけてるのは私だけのようです。
なんだか、頭のつくりがどっか人と違っているんじゃないかという気がしてきます。マイナス方向に、選民思想が入ってきてる。これが自他共に認める「普通と違う人」になってしまったらそのとき私は本当におかしくなっていることでしょう。
小さいころ、統合失調症が寛解して退院したばかりの知人のところでお世話になった経験から思うのですが、人の正気って本当に脆いです。今日普通に話して笑っていても、明日はもうどうだかわからない、そんな怖さがあります。
ちなみに、間違っても「お世話をした経験」ではなく「お世話になった経験」です。その人の息子さんと遊んであげるということでお邪魔させていただいたのですが、子供が子供の面倒を見切れるはずもなく。結局、きれいに飾りつけられたおうちの中で好き勝手遊ばせていただいたり、お菓子を作ってもらったり、しまいには妹の面倒まで見てもらったり、体のいい託児所と化していました。
ご本人は「子供が好きだから、子供の面倒を見ると安らぐ」と言って笑っていましたが、だからと言って、突っつけば壊れてしまいそうな病み上がりの人をバリバリと働かせて、当時の私は何がしたかったんでしょう。もしもタイムマシンがあるのなら、あの頃の遠慮を知らない御馬鹿様なガキを今すぐグッサリとやりたいです。
そういえば、言葉ってフシギですよね。何か大変なことがあって「もう死ぬ」とか「死んじゃうかも」とか言ってるうちに、だんだん、本気で死ぬ気になってきます。「死ぬ気で頑張る」とかそういうのじゃなくて文字通りの「死ぬ気」。死にたいとか、死のうとか、そういうの。
このままではよろしくないので、しばらく死ぬとか死ねとか言わないようにしようと思います。
なんか暗いですね。ブログって言うのはオフラインの日記帳と違って、人に見られるものなので、あんまりアレなことは書かないように心に誓ってたはずなのですが。何やってるんだ、死ね私。あ、死ねって言っちゃった。
へびあし
同級生が持ってた「ココロのシイタケ」のステーショナリーを見て、真っ先にマジックマッシュルームを思い浮かべた今日この頃。頭腐ってますね。
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