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2006年11月27日(月)

「いじめ」ブーム? 

■最近メディアを賑わしているいじめや「いじめ自殺」の問題について、ほんの少し時期を外しながら言及してみます。

どうも一連の取り上げ方を見ていると、まるで何かのブームのように騒ぎ立て、実在している被害者のことなんかキレイサッパリ忘れ去って「最近の子どもは」「最近の教師は」みたいな文脈で語ってしまっていたり、「誰が悪いのか」「自殺予告は本物か」と犯人捜しに終始してしまっていたりで、今まで口を出す気にならなかったのです。
何か「子ども」「教育」をめぐるセンセーショナルな事件が起こるたびにいつか見たような、というよりとう見飽きた「議論」が繰り返され、喉元すぎれば熱さを忘れるように記憶の彼方へ押しやられ、後に残るのは漠然とした「最近の子ども」「今の学校」へのマイナスイメージ。それがいつの間にか、「戦後の教育」への不信感へ回収されて教育の再興だ、躾の復権だ、と声高な主張に飲み込まれてしまう。そんな流れが見えるのは、私の幻覚でしょうか?
現在では逆に、教育基本法改定(改正と言わないのは思想上の以下略)への反対の一環として野党側が議題に上げているようですが。もちろん教育基本法を変えてもらっては困るんだけれど、教育を受けている側の一人として、学校のみならず家庭や地域生活まで縛るような法律は冗談じゃないんだけれど、男女特性論とか破いて丸めて口につっこんでやりたいくらいだけれど、でもそこに今回の「いじめ」や「自殺」を利用されるのも私としてはどうも違和感がぬぐえません。その文脈で語るなとは言わないけれど、そんな大きな枠の話で終わらせてしまっていいの?下手をしたら、逆手に取られて「こんな問題をなくすためにも教育改革が云々」とやられてしまうよ?

・・・ごめんなさい、我ながら、いつにもまして根拠も論理もなしで印象で語ってるなあと思います。感情的にいろんな人の足を引っ張ろうとしています。ここから続く文章は、そういう要素を持ったものとしてお読みください。
論じ方だけじゃなくて文体まで微妙に変わっていますが、筆のすべりだと思ってスルーしてあげてください。

ちなみに「いじめ自殺」に限らず自殺問題をメディアで詳細に取り上げることは模倣自殺を招き、何とか生の側に踏みとどまっていた人の背中を押してしまう恐れがあります。といって黙殺すれば命を絶ってしまうほどの苦しみを不可視化することになる、という難しい問題が横たわっているわけです。だから慎重さが必要、という当たり前すぎる指摘を一応しておきます。
*特に断りがない限り、以下で使う「いじめ」という語は学校教育の中での生徒間のいじめ、「自殺」という語は「いじめ自殺」を指します

テーマ : いじめ - ジャンル : 学校・教育

タグ : いじめ 自殺 少年 学校 教育

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